今、僕がスタッフとして関わっているフリースクールには
小学生から高校生までの子たちが来ている。
その中の高校生は、通信の高校に通いながらフリースクールに通っている子たちがいる。
通信の高校に通う子にこれまで関わることがなかったのだけれど、
その子たちと話す中で、自分の高校時代を振り返る機会になる。
そして
自分から課題に取り組める子、
勉強したくないという子、
勉強する意味がわからないという子、
いろんな子がいる中で、
セルフラーニングとはなんだろうか?
学びを自分のものにするってどうゆうことなのだろうか?と問う機会になる。
通信制度は、レポート(問題を解く)をある決まった枚数を郵送することで、テストを受けられる権利を得られる。そしてテストを受験し、合格すれば単位が取れる。
そのほかにもスクーリングといって決められた回数は学校へ足を運び授業を受けなければならない。
かなり簡単な説明ではあるけれど、
このようなルールがあるため、
自分で学習進度を計画し、自分で進めていかなくてはならない。
フリースクールに通う高校生は、
教室にくると自分の学習にスッと取り掛かる。
自分の進度を把握して、自分のやるべきレポートにただ取り組む。その姿が、とても落ち着いていて、何か力が入っているわけでもなく、それが自然で、僕はいつも感心する。
(僕はらくだのプリントにスッと取り組めない自分がいるからこそ、ここに感心してしまうのかもしれない。)
彼らの学習は、自分の高校時代の学習とは全く違った学習環境の中で、全く違った姿勢があるように感じる。
僕は毎日学校に行って、授業を受けて、テストを受けて、
そうすれば必ず 卒業 はできたし、
勉強するときは、テスト前にガツガツ勉強したし、
受験勉強だって、どこか負けたくないとか、落ちたくないとか、
力がどこかに入っていたような、そんな気がする。
でも彼らの学習に向かう姿勢に、変な力というのがなくて、
すごくリラックスできているなと感じることが多い。
彼らは自分で決められたことをやれなければ、
卒業も簡単にはできない。
僕からすると、ものすごくハードルが高くて、
レベルが高くて、大変そうだなと思う。
ただ彼らに話を聞くと、確かに大変ではあるけれど、
自分にはこの通信という学習スタイルが合っていると思って
この学校を選んだという。
それを自分で決めたのだという実感を彼らから感じる。
そして、その自分に合っているという実感と、
自分で選んだという実感が、彼らの学習の姿から感じる
力のこもっていない、リラックスした姿につながっているように感じた。
だからこそ、自分に合った学習環境に出会うことや、
自分で決めるという経験が、
学習を自分のものとすることにはとても大事だなと改めておもう。
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でも、「決める」までの過程を聞くと、
それはみんなやっぱり苦労している。
大変なことが山ほどあったのだろうと推測できる。
そしてその苦労の中で、
彼らは自分に合った学習環境・スタイルに出会っている。
自分に合ったものに出会うには、
そして自分で決めるには、
今の自分の苦労の中からしか生まれないのかもしれない。
その今、目の前にある苦労から始まるのだ。
誰にだって、苦労はある。
悩みもある。課題もある。
嫌なことだって、逃げたいことだってある。
そういう子たちを前にして、
そんなこと気にせず勉強しろ。とは言えない。
きっと今抱えているものをごまかさず、
そこと向き合うこと、
無理やり解決させてあげないことが大切なのだと思う。
本当に、自分に何ができるのか?と問い続けながら、
子どもたちと関わりたいと感じる。