そのまんまたろうのブログ

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10月のふり返り その2

10月のふり返り その2

 

10月も今週でおわり、あっという間に11月に突入。

今年も残り後わずかとなってきた。

 

ここ数カ月は、プリントができないという記事ばかりになってしまっている。

仕事や畑や結婚パーティーの準備など、

少しいっぱいいっぱいになっていて、余裕はまったくない。

 

 

だからプリントができないという理由にはならないと思うのだけれど、

プリントができていない自分がいるということは事実である。

 

逆に以前は、プリントができていたこともあったことも事実である。

 

 

この状況が変われば、プリントができるようになるのだろうか?

仕事量が減ったり、農閑期にはいったり、結婚パーティーが終われば、

プリントができるようになるのだろうか。

 

今より忙しくなることは、来春まではおそらくないような気もするし、

もしかしたら、プリントはできるようになるのかもしれない。

 

でも、それでいいのだろうか?と思う。

 

忙しいからできない。

忙しくなくなったらプリントができる状態に戻る。

 

これは、「プリントをやる」ということが目的になってしまっているのではないだろうか。

 

今の僕が、自分のできない体験を大事にするというのは、

この状況下でも、プリントができる自分にどうしたらなれるのか?と問うことなんじゃないか。

 

 

忙しくなくなったらプリントができる状態に戻る。というのは、

すでに自分の「できる」ところに戻ることなのだろう。

 

だからこそ、僕は今のこの状況下でプリントともう一度向き合わなければと思う。

 

どんな状況下でもプリントができる自分になることは、

どんな状況にも応じることができる自分になることなのだと思う。

つまり、今の僕は、応じることができていないのだけれど、

そんな自分になれる機会が今ここにあるのだとも思う。

 

あと1カ月もすると、いろいろなことが落ち着いてくるように思う。

そうすると、自然とプリントができる自分に戻っていくのかもれない。(戻らないかもしれない)

ただ、この状況はあと1カ月くらいしかない。

 

せっかくのこの期間・そのなかで体験できる機会を大事にしたい。と思った。

 

 

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僕は家でプリントに取り組む。

だから奥さんも、僕がプリントに取り組んでいる姿を目にすることは多いと思う。

 

プリントができていない自分の状況は、

簡単に言ってしまえば、余裕がない状況といえる。

 

家でプリントに取り組む余裕がないのだから、

家で、奥さんの話を聴くという余裕もなくなる。

 

奥さんの話を聴く余裕がなくなったら、どうなるだろうか。(笑)

 

聴く余裕がない自分を自覚しても、

聴こうと思って聴けるようになるほど、簡単なことではない。

 

そんな時、らくだのプリントに還ってみる。

 

らくだのプリントができる状態へと自分を整えていく。

そうすると、余裕が生まれてくる。

 

そして、奥さんの話も聴けるようになってくる。(笑)

 

これは、僕と奥さんだけの話に限らず、

親と子の関係の中でも、いえる話かもしれないと思った。

 

らくだの教材が、子どもだけでなく、

親の学習にもつながってくる、家庭にもつながってくる感覚を、

今この自分の体験で、ちょぴりと垣間見えた。