ここ最近、らくだのプリントができていない。
9月の振り返りもしていない。
通信も発行できていない。
(通信は11月までお休みすることにした)
いろんなことが止まってしまっている。
そんな今の自分の状況をふりかえってみる。
今の自分は、よくないパターンにはまっている。
仕事でも、仕事以外でも、何か夢中になってやりだすと、
僕は夢中になってそれをやってしまう傾向にある。
そして夜遅くまでやったり、自分の今までのペースを乱してでも、やってしまう。
ここ最近は、そのパターンにはまっている。
そしてだんだんと部屋が汚れたり、机の上に書類がたまってきたり、
朝起きる時間が遅くなったり、プリントをやらずにやりたいことを先にやって、
結局やらなかったりする。
そうやって、自分の日常が乱れていく。
自分では、夢中になって、頑張ってやっているし、
充実感だって感じられることもある。
だけど、らくだのプリントをやることや、振り返りの記事を書くこと、通信の発行をすること、朝起きてゆっくり食事をすること、そういうこれまで自分の大切にしてきたことが、こういう「頑張る」とか「夢中になる」という行為によって、自分の気づかぬうちに、自分によって失われていくことがあるのだ。
頑張ること、夢中になることは自分に充実感を与えてくれるかもしれない。
頑張って、夢中になってやれば仕事もはかどる。
仕事がはかどれば、色々な人の期待に応えることだってできる。
頑張ること、夢中になることによって得られることはたくさんあるように思う。
だけれど、だからといって頑張ればいい。
夢中になればいい。というわけではない。
そのことによって、自分自身が乱れていること、
乱れることによって自分がこれまで大切にしてきたことが
失われていることがあるということに気づかなくてはいけない。
頑張ること、夢中になることを否定するわけではなく、
自分なりの頑張り方や、夢中になりすぎない方法を
僕は見出さなければいけないのだと思う。
それはまだ具体的にはわからない。というか決められていない。
(朝起きてらくだのプリントをやればいいのだとも思う。そしてできない日をふり返る。振り返れないのなら、振り返るための何か制約や工夫が必要だ。)
自分が大切にしてきたことを、
自分が乱している、損ねている。
そういったことにはなかなか気づけない。
だからこそ、やっぱり自分がやり続けようと決めたことができなくなったとき、
それが止まってしまったときに、自分自身を振り返ることの重要さを感じる。
自分が大切にしていることは、自分自身にしかわからない。
そして、その大切なことを乱している、
損ねているのは自分自身であって、
自分以外の誰でもない。
だからこそ、自分自身を振り返らなくては、
自分が大切にしたいことを大切にしていくことはできないのだと思う。