そのまんまたろうのブログ

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2019.8.31 インタビューゲーム会 感想シート

8月31日に、静岡駅近くの会場をお借りし、インタビューゲーム会を行いました。今回は参加者6名のうち、4名がインタビューゲーム初体験でした。

以下、参加者の感想シートです。

 

このイベントを参加するにあたり「何を得られるのだろう?」というギモンとワクワクをもってきました。でも今日は多くの学びがあったと感じています。特に、人に質問をするとき、相手が答えた内容から、次の質問をリードするのに難しさを感じました。楽しい時間だったけど、とても頭を使い集中した時間でした。

普段から1対1で英会話をしている私は、もしかしたら、相手の話を自分の都合の良いように無意識的に話をコントロールしているのでは・・・?と気づかされました。

イベントの内容はとても面白くて、自分を客観的に見ることができる良いきっかけになりました。ふり返りの時間がとても勉強になり、他の参加者が感じていることが私には無い感想だったりして、ただインタビューするだけでなく、インタビューゲームを通して学んだことを振り返るって大事だなと思いました。

 

たろうさんと木下邸で知り合ってどういった人なのか等あまり知らずにこのゲームに興味を持ってきましたが、自分を振り返る時間になってよかったです。
自分が自分についてどう思っているのか、話した分も話せなかった分(話すべきかまよった、話すのを恥ずかしいと思った)も含めて今の自分にどんな気持ちを持てているのかを改めて知りました。
またみなさんの紹介を聞いてみて、みなさんが何に楽しさをかんじているのか、やどんな活動経験を通して、こうしたい、◯◯をしたいと思えたのか、ということを聞けてとても刺激をもらいました。自分自身は2.0の活動で楽しく知り合いを増やす場づくりをやっていますが、深さというよりはそこで色々な人同士が知り合ってもらえるというのを目的にやっているから、1対1でこれだけの時間を初対面で話すのは新鮮でした。
3年後どうしていたい?という質問にやりたいことはあるけれど、それでどうなりたいかまで考えられていない自分に気づきドキっとしたし、焦りというかちょっとまだ浅い自分にきづけたのもよかったです。
ありがとうございました。
あと人の話を自分も聞けてないなと思った。



インタビューを自分がする側になるのは初めてでした。話し手が、どんどん話してくれると嬉しくて、自分も話しやすい雰囲気づくりを心がけました。一段落ついたときに、聞いてきたことを整理して、次の質問をすることや、つなげることがすごく難しかったです。自分の質問で、相手の思い出していたところや、深まっていた考えを詰まらせてしまった気がしました。自分なりに広く聞いた方が相手はその中から話しやすい捉え方で、教えてくれるのかな。と思いました。(聴くことが決まっていないとき)
自分がされる側になるときは、どんどん深めて話せて、相手が聞いてくれるのでずっと話していていいということに、少し動揺しました。自分の思っていることを自信を持って話すことも大切だと思いました。
 全員で意見を交流したときは、普段いる環境も通ってきた道も違う中で、考えをつなげていくのが、“考える”ということに特化してやるのは難しいことだと思いました、伝え方や、これ言おうかな、、、と思うことがあったからだと思います。もっと堂々と気にせず話せるようになれるのかな、と思いました。相手の話を聞いていて、発見したことや、そこから気づけたことを実行するのは案外忘れやすいものだと思うので、今日は、言葉を大切にすることと、行動しよう!ということを覚えておきたいです。

 

きく、はなす、かくの3セットを普段のコミュニケーションとは違う制限を入れることで、「普段」への違和感が露呈される。
普段のコミュニケーションが手段が目的化されているとしたら、まずいなとかえりみるいい機会になりました。

 

普段、自分の考えを話す、人の考えを聞くということは、行っているけれども、人の想い(考え)を人に伝えるような文章にまでするようなことがないなと感じました。報道対応など、発信するにしても受けるにしても正確な情報について考えさせられると同時に、脳のトレーニングとしても面白いなと感じました。
 また話すことに関しても、最後に文書化されることで、自分の話し方で相手にどんな形で伝わったのか、理解されたのかを知ることが出来たので、ゲームとして面白いを思いました。

 

これまでは、インタビューする側=“きく”という意識でインタビューゲームをしていたが、インタビューされる側の“きく”についての意識がかなり欠落しているということに気づいた。相手の“問い”をどれだけ聞くことができるか。相手の問いに対してどのように言葉を選べばいいのかに、もっと敏感になりたいと思った。
“話す”というのも“聞く”からできるわけであって、改めてきくことができていない自分を自覚することができた1日だった。
それはファシリテーションにもかなり影響が出ていて、自分の話し方、言葉の使い方をいつも自分がセルフモニタリングできれば、話し方はかなり変化すると思うし、場の質も変わるのだと感じた。