昨日の考現学で、以下の言葉が出てきた。
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・書きながら気づいていく、
学んでいくというスタイルは、
自分に合っているのかもしれません。
・「書く」ということは
意外と僕にとっては大切な行為なのだと
こうやって書きながら感じずにはいられません。
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書くことは、自分にとっては大切な行為なのだという実感が、
昨日の考現学を書いていてすごくあった。
なぜ、書いているといろんな気づきが生まれてくるのか?
ということがすごく不思議であり、僕の問いとしてある。
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ひとつ、「時間の所有感」が言えるのかもしれない。
書いている時は、完全に「ひとり」の時間であって、
誰にも邪魔されないし、誰にも分断されることはない。
だからこそ、継続的に自分が自分の時間を所有できる。
だけれど、日常生活において、意外とそれは難しいように思う。
他者と一緒にいれば、誰かが声をかけてくる時もあるし、
誰かのあの行為が気になって、自分の時間に「他者」が入って来る。
そう思うと、「書いている時」って本当に「ひとり」なんだと思う。
ひとりでいる時間は、時間を分断されずに、継続的に自分が所有できる。
そして、その時間が分断されずに、継続的であることは、
「書く」という行為のすごく特徴的な部分だなと思った。
この流れている時間を、果たして誰と所有しているものなのか?と意識して捉えてみたい。
そして、個人の「ひとり」の時間を守ることや作ることは、
個人が気づき、学ぶことにおいてとっても大切なのだと思う。
そういう意味で、「書く」という行為は、
自分の「ひとり」の時間を守ることのできるスタイルなのだと思う。