そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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現状把握 観念ではなく事実を

12/22 未来デザインWSのふり返り
〜オンラインにて名古屋⇄静岡 をつないでもらい参加しました〜

 
◯現状把握 観念ではなく事実を
 
この話題は、いつも未来デザインのワークショップの時にでる話題です。
「現状が正しく把握されれば、おのずと未来が見通せるようになる」
 
たしかに、現実を正しく把握すれば、今何をやればいいのか、どんな手を打てばいいのかがわかる。
 
現状(客観的事実)が正しくつかめていないから、
不安になったり、もやもやするのだろう。
こうやって考えると、ものすごく簡単で当たり前のことを言っているように思うけれど、これがなかなか難しい。
 
何が事実で、何が観念(自分がつくりだしているもの)なのか?これがごちゃまぜになってしまっている。そして、事実を正しく見つめずに、自分の見たものが事実=現状だと思っていることがほとんどだということを痛感した。
 
でも、じゃぁどうしたら客観的事実を把握する見方ができるようになるのか?
それは一人ではなく他者との関係のなかで、
伝える→伝わらない の経験を繰り返すなかで、
自分の観察の仕方が変わってくる。という内容が印象的だった。
 
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◯僕の今後の活動も第二局面「現状把握」的動きが必要になってくる。
 
地元に帰ってきた。地元に帰ってきて感じたことは、
やはり地元は、名古屋や岐阜とは流れている空気や、人の様子が違う。ということ。
でも、違うと言っても、何がどのように違うのか?と問われても、なかなか事実ベースで応えることはまだできない。
 
今日の未来デザインのワークショップで僕は、
現状把握が全くできていないということに気づいた。
 
自分の内側にある想いだけで進んでいくことはできない。
他者との関わり、地域との関わり、自分の置かれているまわりの環境が存在して初めて自分が存在することができる。
 
だけど、自分の内側や、自分の手の届く範囲でしか、
そのまわりの環境に対して把握することをしていない。
 
ちょうど引越しをして3ヶ月が経った。
ようやく自分の身の回りのことが落ち着いてきた。
何から始めればいいのか?と思っていたけれど、まずは現状を把握するために動いていくしかない。人から話を聞いたり、自分で見て聞いて、感じて。
足を動かして、手を動かしていくしかないと感じた。
 
そうやって、事実がだんだんと把握できるようになれば、
自ずと自分のやれることややらなければいけないことが、理念を元に生まれてくるのだろう。(理念設定ももう一回やりなおすけれど)

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そして、自分のやれることは、
自分の能力を上げることはもちろんなのだろうけれど、
自分の現状把握の範囲が広がっていけば、
自然とやれることが広がっていくということもあるのだと思った。

自分の今は、自分の現状範囲の中にあるのだから、
自分の現状範囲のその範囲が広がっていけば、
自分に広がりが生まれてくるだろう。
 
だから、自分の広がりを生むために、
自分のスキルを上げたり、
自分が何かをできる人になったりする前に、
自分が今、この現状をきちんと把握することが先のような気がした。

そうしたら、今の自分でも自然と何かできることがあって、
自分が自然と広がっていくことがあるのだろう。
そして、その時に始めて、自分にスキルが必要だ。とか、
これを学びたい、あれをできるようになりたい。そうやって進んでいくのだろうと思った。
 
これは、らくだの計算プリントと同じことだ。
自分が今、「できないという実感=現状把握」があれば、
どこを学び直す必要があるのかすぐ理解できることときっと同じなのだろう。。
 
足し算ができないのに、自分が何ができないのか?という現状が把握できず、
でもできるようになりたいから、掛け算や割り算を勉強しようとする。
 
これは本末転倒であって、これでは一向にできるようにならない。
 
でもこれと同じ問題が、
自分の人生で起こっていることはたくさんあると思った。
 
 

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自宅にてオンライン名古屋⇄静岡をつなげてもらい、参加させてもらいました。
シートやフリップのシェアはメッセンジャーチャットでつなげました。

こうやって、オンラインでも自分の学び場をもてるということは、
ネットがここまで普及してた今だからこそできることだと思います。

小学校や中学校で、メディアリテラシーとか、インターネットの使い方(主に危険性)をたくさん教えられたけれど、こうやって有効にインターネットの機能を使って、つながりのなかで学べる機会に参加できるということは、ネットの使い方としてはとても価値あることのように感じます。