未だに僕の記録表は、空白が多い。
今日は、らくだのプリントの返送日。
毎月約2回 ・記録表 ・やったプリント を名古屋の中村教室へ郵送する。
そして、記録表の確認と、必要なプリントを補充してもらい、
また僕の元に記録表と、計算プリントが返ってくる。
そうやって、通信形式でこの学習を継続しているのですが、
この「返送日」という区切りがなければ、
きっと、らくだメソッドの1日1枚のプリントは、僕の中で消えていくのだろうなと思う。今まで僕は、何かを続けると言って、続かなかった経験がたくさんある。その自然と続かずに消えていく感覚がなんとなくわかる。
できなかった日は、できない理由をさがして、
自分を納得させて、できない日々が続いていく。そうやって、自分で続けると決めたことも、いつか自然と終わっていたことなんて、たくさん経験している。
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このらくだメソッドでの、「返送日」というのは、とても大きな役割を果たしてくれている。返送する(プリントと記録表を郵送する)というのは、この学習のルールだ。
プリントを全くやっていなくても、空白の記録表は送らなければいけない。だから、必ず返送日には、自分の学習の記録をみることになる。
今までは、毎日毎日言い訳して、自然とやらずに過ぎ去っていた毎日が、らくだメソッドでは記録表の空白として、確認することができる。空白だらけのこの記録表は、これまで、できない理由をさがして、自分を納得させて、いつしか見なくなっていた毎日であって、それを記録表のおかげで残すことができ、返送日にはその事実と向き合うことができる。
これはとても大きな意味はあることだと思う。
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続けるということは、その行為が続くということだと思っていたけれど、
(プリントでは毎日プリントの学習ができること)
そうではなくて、できない事実を見つめ続けることなのだと思う。
朝の早起きを続ける のではなくて、
朝起きれなかった事実を見つめ続ける。
スタートは「できない」のだ。
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きっと僕は心の中で、「プリントができる」と思っている。だから言い訳が生まれてくる。「仕事が忙しいからできない」というのは、「仕事が忙しくなければできる」という意味で、自分はできると思っているんだ。
それは、本当に勘違いなのだと思った。
この空白の記録表にあるように、自分は今、できないのだ。だから、できない存在として、学習を続けていくしかないのだと思う。
できない自分が、今ここにいて、それを受け入れる。その事実を受け止め続けていく。
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この空白の記録表は僕にとっては希望なのだと思う。この空白が残っていなかったら、僕はこのできない現実と向き合うことすらできない。
きっとこれがスタートなのだと思う。できない自分を否定するわけでもなく、ただ今の自分はできないのだと実感して、毎日取り組む。それを続けていくしかないのだと改めて気づいた。