現実を受け入れない研究などない。
そんな都合のいい研究は、研究ではない。
研究は、どんな現実でも、
受け入れなければできないものだろう。
そして、現実を受け入れて、
正しく事実を見つめて、観察する、
その繰り返しの中で、
新たな気づきや学びが生まれてくる。
だから、自分自身を研究しようと思えば
どんな自分をも、まずは受け入れなければいけないのだ。
研究的生き方こそ、
今を受け入れる生き方のなのだろう。
自分を受け入れて、よく観察して、自分という存在の研究材料にする。
そうやって、自分に矢印を向けて、
どんな自分もまず受け入れてみる。
この世界はたくさんの研究にあふれている。
たくさんのことをこれまでも、
そしてこれからも、人間は研究を続けていくだろう。
だけど、人間は一人ひとり違うのに、
自分自身の研究を忘れていたのかもしれない。
「研究」というスタイルは面白い。
研究は、どんな今だって、
受け入れることからスタートすることできる。
良いとか、悪いとか、損とか、得とか、
そういうものを超えて、
今この事実をまず見つめることから始めることができる。
そうやって、研究的生き方の中で
僕たちが繋がっていくことができれば、
ただある現実に、なんとなく僕たちが持っている
良し悪しの基準なんて、
そんなに大したことではなくなって、
それぞれの基準の中で、
自分の価値を、現実に見出せるようなるのかもしれないと思った。