この約一週間、静岡の実家に帰省し、
いろんなタイミングが重なり、話がすすんだ。
変化をものすごく感じた一週間だった。
ただ、この一週間らくだのプリントや考現学の更新が途絶えてしまった。
帰省をすると、いつもとは寝るところも違うし、
家にいる人も違う。日常会話の内容だって違うし、
普段の生活とは違うことばっかだ。
だから、いつもの日常ではなく、非日常的環境になる。
そういう環境の中に、らくだの学習の1日1枚のプリントという
日常性がはいっていると、たとえプリントができなくても、
自分の環境が自分に何か影響を与えているということを感じることができる。
プリントがなければ、「できない」経験もうまれない。
いつもと環境が違うことによって、
自分が「できない」経験をしていることが
プリントがあるから自覚することができる。
環境によって人は変わることができるというけれど、
環境によって、失ってしまう自分だっている。
自分は、自分の気付かぬところで変化してしまう。影響してしまう。
それは仕方のないことだし、避けられないことなのだけれど、
こうやって、何か定点を自分の中において、
自分を観察することができれば、
どんな環境に出会ったとしても、
どんな環境に置かれたとして
自分で自分の人生を描くことはできるのかもしれないと感じた。