そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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2018.4.3 老いについて

3年間、畑も田んぼも一緒にやってきた仲間の

おじいさん(77歳)が、今年は田んぼはやらないという決断をされた。

 

いろんなことを教えてくれて、

一緒に作業することがとても楽しかったので、

ものすごく残念な気持ちになった。

 

田んぼをやらない理由は、自分の体の変化にあるという。

77歳にもなると、夏の田んぼの作業は体力を消耗するし、

体も思うように動かなくなっているという。

 

大好きだった山登りもなかなか登れなくなって、

一緒に登っていたメンバーとも山を登らなくなってしまったという

お話を聞いた。

 

僕のおばあちゃんもそうだ。

好きでやっていた編み物の習い事も、仲間との集まりも、

いきなり全部やめてしまった。

その時に、なんでそんないきなり辞めちゃうものか。と疑問に思ったし、

その気持ちがよくわからなかったけれど、

今回、田んぼの仲間のおじいちゃんの話を聞いて、

おばあちゃんの気持ちも少しだけど、わかった気がした。

 

老いということと、どうやってお年寄りの人たちは向き合っているのだろうか。

 

自分のおじいちゃんやおばあちゃんの気持ちを考えようとすれば、

老いということはどういうことなのだろうか、

という疑問がいつも浮かんでくる。

 

老いがすすむにつれて、「できない」現実が多くなってくるのだろう。

その「できない」という現実が増えていく一方で、

そんな毎日をじいちゃんばあちゃんは生きてるのかもしれない。

 

そして、その「できない」が「できる」に向かうわけではなく、

「できない」に向かう一方なのである。

今の僕の若さであれば、「できない」現実を

「できる」にすることができることも多いのだけれど。

 

でも、もともとは何もできなかった。

そこから1つ1つできるようになってきたのだ。

それが、「老い」によって、また「できない」に戻っていく。

 

人はもともと「できない」存在で、

その「できない」存在が、ひとつひとつ「できる」ことを増やしていく。

 

そして、その「できる」がまた「できない」に戻っていく。

老い」は本来に戻っていく過程のようなものなのだろうか。