そのまんまたろうのブログ

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2018.4.1(2018.3.30分) サッカーから学んだ聞くこと

話すことよりも聞くことの方が、

僕にとっては自然とやれることだったのだけれど、

その「聞くこと」について、

なぜ自分が話すよりも、聞く立場に立つようになったのか、

そういう視点から過去の自分を振り返ってみると、

幼稚園からやっているサッカーの経験が大きと思う。

 

僕は小学校から高校まで、比較的指導環境が厳しい中で

サッカーをやってきたように思う。

試合に出るためには、多くの人の中から選ばれないといけなかった。

そのためには技術はもちろん、指導者である監督・コーチからの

信頼を得ることができなければいけなかった。

 

その信頼関係を築いていくために、

おそらく「聞く」という姿勢が必要不可欠で、

自然と僕は監督やコーチの話や指導を聞くことを

意識的にやっていたように思う。

 

具体的にはまずはしっかりと目をみて監督の指導を聞くこと。

小学生や中学生のときは、監督やコーチが話をしているときに、

下を向いたり、よそ見をしてきたり、、、、
よくそういう奴はど叱られていた。そんな光景をよく見ていたから、

僕は結構目をみて聞く。ということを意識していたように思う。

人って、目をみて聞いてもらえると、

聞いていることを実感するんだということを、きっと学んでいたのだろう。

あとは、人が指導していることも、自分のこととして聞くということである。

これはかなり子供のときに、大事だなと思っていた。

 

よく、プレーを止めて、仲間が監督から指導される。(ぶち怒られる。笑)

そのあとに、また別の仲間が同じミスやプレーをして指導される。(ぶち怒られる。笑)

そんなことがよく練習や試合でも起こっていたから、

常に監督やコーチが話していることを、聞いて、

たとえその指導先が僕自身でなかったとしても

自分のこととして、自分に当てはまることはないかと

自問していたように思う。

 

今思うと、そういうサッカーの経験が、

僕が聞くことを深めたいとか、その可能性を今感じていることに、

つながっているように思う。

 

そのときは、ただただ一生懸命やっていただけなのだけれど、

そういう経験を振り返ってみると、

今の自分の基礎や、興味関心に、とっても大きな影響を

与えていることがあるように思う。

 

そのときには、その現実から意味を見いだすことができなくても、

振り返りによって、その事実に大きな価値が生まれてくることがある。

 

だから今この現実をただ生きて、忘れず振り返ることが大切なのだと思う。