「続ければ必ずできるようになる」ということ
らくだメソッドの小学校6年-18のプリントは、
四則混合③のプリント。
問題数は30問
めやすの時間は8分以内
そして、ミス3個以内で解くことができれば、合格となる。
この小6-18のプリントはなかなか合格することができなかったのだけれど、
今週ようやく合格できた。
なんと16枚目で合格することができた。
それでも、このプリントが合格できなくても、
「難しい、、、できん。」という実感がありながらも、
「絶対無理だ。」とは、不思議と思うことがなかった。
このらくだメソッドでは、
「できない」という実感がありながらも、
「いつかできる」「やり続ければできる」という実感が心の片隅に必ず存在する。
だから、「できない」を理由に学習をやめたりしようとは思わない。
これまでの学習(小1からプリントを取り組んだこと)の中で、
「やり続ければいつか必ずできる」ということが、
自分の中に築かれてきているように思う。
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でも、なぜらくだの学習ではそうした
「やり続ければ必ずできる」という実感が育まれるのか。
これまで「できない」ことが「できる」ようになったことは、
らくだの学習以外にも多くあるように思う。
けれど、この「続ければいつか必ずできる」という実感を
ここまでしっかりと感じたことはなかったように思う。
今回の小6-18のプリントができるようになるまで、
15枚のプリントに取り組んで、
2〜3週間ほどできるようになるまでにかかった。
(毎回プリントに取り組んだ後に、学習時間・かかった時間・ミスの数を記録表に残すことが学習のルールとなっているため、できるようになるまでのデータが残る。)
15日も「今日もできなかった」と記録表に
自分のできなかった記録を記入したということは、
自分の「できない」という事実を必ず受け止めていたのだと思う。
(受け止め度合いはそれぞれだと思うけれど。)
そうやって、できなかった過程を振り返ってみると、
これまでの学習体験では、
「できない」といっても、
「何ができないのか」ということが曖昧だったから、
「何ができるようになったのか」ということも、
すごく曖昧なことが多かったように感じる。
「できる」という確かな実感は、
「何ができないのか」とセットなのだと思う。
「小6-18のプリントができない」ということは、
「できない」がかなり明確である。
だから、クリアした時も、
「できた」ということもまた明確である。
だから、「やり続ければ必ずできるようになる」という実感は、
らくだメソッドの学習の仕方が、
「何ができないのか」ということを明確に確認できる
形となっているからなのだと思う。
「やり続ければ必ずできるようになる」という実感は、
日々の「何ができていないか」という明確なできないの積み重ねによって
作られているように思う。
きっとプリントに限らず、
「やり続ければ必ずできるようになる」
けれどそれは、「何ができないのか」という明確なできない体験が必要不可欠だ。