最近、なかなかスムーズにプリントに取り組めない。
1日1枚のプリントの重みが、
今の時期はとっても重たく感じる。
なかなかスムーズに体が動かないでいる。
そんな状況が、
すごく長い間続いているように感じている。
らくだの学習を始めてから1年以上経つのだけれど、
プリントがスムーズに取り組めている期間もあった。
けれど、今はできない状況の中にいる。
そんな今の自分の状況がもどかしい。
以前はできていたことが、
今はできないということが、
どこかもどかしい。と思っていた。
もちろんプリントのレベルは少しずつ上がってはいるのだけれど、
プリントを「やる」ということが、
以前に比べてできていない自分に、
もどかしい気持ちがあった。
そんな過去の自分との対比や、
体が動かないもどかしさを感じていたのだけれど、
昨日、ふと心が楽になった。
1枚のプリントがスムーズに取り組めるか、
取り組めないか、というのは、
自分の日常生活全てが影響しあい関わってくる。
仕事はもちろん、人間関係や、体の体調など、
プリントに影響してくる要因=自分に影響してくる要因である。
プリントがスムーズにできないという現状は、
プリントへの意識、エネルギー、時間、
そういったもののバランスが、
かなり偏っているということなのだと思う。
ただそれだけのことである。
プリントがスムーズにできないことが、
過去との対比の中で、
自分の中で「よくないこと」という
認識に置き換えられてしまっていたように思う。
ここでの認識は、「ただスムーズに取り組めない」という、
ただそれだけのことなのである。
ここ最近の自分の現状を見てみると、
仕事や人間関係は、すごく前に進んでいることがある。
それは、自分自身がすごくエネルギーを使って、
丁寧に取り組んでいるからとも言える。
プリントになかなかスムーズに取り組むことができていないけど、
それ以外のところで、その分「何か」が生まれているということもまた言える。
けれど、こうやって何かにエネルギーが偏り、
何かを犠牲にして(ここではプリント)何かに打ち込むというのは、
この先どこかで壁にぶつかったり、
問題が生まれてくるように感じる。
また、自分の中では
そこにエネルギーを注ぐ「意味」を感じているところだけに、
エネルギーを注いでいたら、
結局、自分の枠はその「意味」を超えていくことはできない。
もちろんそれも大事なのだけれど、
今の自分には「意味」を感じないこと、
そういうところへ少しでも、エネルギーを注げたら、
もっと自分の意図をこえたことが起こってくる。
1枚のプリントから見えてくる自分を、
自分自身で消さないようにしたい。
、
長い期間もどかしい中にいれることで
見えてくることがある。
それは、やると決めたことから離れないこと。
決してプリントから離れないことなのだと思う。
決めたら「できないこと」が生まれてくる。
その事実の中に、自分にとって大切な何かがあると信じて、
できないもどかしさの中に居続ける。
その中から生まれる気づきや学びは、
自分以外の誰かには決して教えることができない、
自分だけの、自分にとって大切な学びなのだと思う。