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【らくだメソッド】スイッチを押すこと(ストップウォッチについて)

【らくだメソッド】スイッチを押すこと(ストップウォッチについて)

 
らくだメソッドのプリント学習をやるとき、
めやすの時間を計るために、ストップウォッチを使用します。
 
そのストップウォッチを押して、問題を解き始めます。
 
僕の場合は、毎日毎日プリントがすぐに取りかかれるかというと、
全然そんなことはありません。
 
ストップウォッチのスタートのスイッチを押す瞬間まで、
プリントに取り掛かることを迷うときがあります。
(いろいろ余計なことを考えています。)
でもストップウォッチのスイッチを押してしまったら、
もう問題に取り掛かるしかありません。
 
時間は動き始めるから、もうその時間の中にはいって問題を解き始めるしかありません。
 
ps.逆に、スタートのスイッチを押すことになんの違和感もなく自然にポチッと押してプリントに取りかかれる日もあります。
 
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僕の場合は、1日の始め(午前中)にプリントに取り掛かることができると、
そのあとの1日の仕事の進み具合や、1日の満足感がとてもあります。
また、身の回りのこと(洗濯やお皿洗い、部屋のちょっとした掃除)に自然と体が動いていきます。
 
逆にプリントになかなか取り掛かれないときというのは、
いつ洗濯しようか、、、いつ皿洗おうか、、、と体が動かないことが多くあります。
 
らくだのプリントに取り掛かると、
「体が動くようになる」「やる気が湧いてくる」という実感はとても感じていました。
それがとても不思議で、そこに対する問いは常にあるのですが、
この「ストップウォッチを押す」という行為は、そこに何かつながりがあるように思いました。
 
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ストップウォッチを押すということは、
自分で「時間を動かす」ということなんだと思います。
時間は本当はいつも動いて流れているのだけれど、
 
僕はつい、過去のことや未来のことを考えてしまっていて、
本当は、時間が動いている「今」という場所にいるにもかかわらず、
その時間が動いているということに、自覚的になれずにいるのだと思います。
 
ただ、自分の「体」はいつも時間を刻んでいます。
心臓は動いているし、呼吸もしているし体はいつも動いている時間の中にある。
 
だけど、あたま(脳)は今にない状態で、
時間が動いているということを忘れてしまっています。
そういう、あたま(脳)と体の時間感覚がずれていて、
「体が動かない」のだと思います。
 
でも、らくだのプリントに取り掛かるときは必ず
ストップウォッチを押すしかない。
考え事をして、「今」にいない自分でも、
自分で時間を動かして、動いている時間に自覚的にならざるおえないのだと思います。
 
時間を動かしてしまえば、あとは動かした時間の中に入って問題を解けばいい。
そうすると、プリントに取り掛かる前は「今」になかったあたま(脳)も、だんだんと今に戻ってきます。
そうすると、プリントを終えた頃には、
あたま(脳)と体の時間は重なり合って、
プリントを終えたあとは、「体の動く自分」になっているのだと思います。
 
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ストップウォッチを押すということは、
本当に些細なことなのだけど、「自分で時間を動かせる」という点では、
とっても大きな意味を持つことなのだと思いました。