そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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本当にできているから、 できていることはきっと気づかないのだと思った。

本当に「できるようになりたい」というのは、
「できない」との比較の中で生まれる「できる」ではなくて、
自然的な、できる自覚すらない「できる」ことなのかもしれない。
 
だから本当はできていることがいっぱいある。
でも、本当にできているから、
それは 自然的な「できる」まで
自分の中で深まっているから、
できていることはきっと気づかないのだと思った。
 

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小6-1のプリントは今まで学んできたことの復習問題。
 
割り算の暗算も、久しぶりに出てきた問題なのに自然とできていた。
 
けれど元々は、この割り算の暗算だってできなくて、
 それが時間をかけてできるようになって、
 今は自然にできている。
 
今できていることも、
 もともとはできなくて、
でもできるようになって、
 そして今となっては、
その「できる」も越えて、 自然になっているのだ。
 
今、「できない」と思えていることも、
やがて「できない」から「できる」になり、
そして、「できる」という実感もなくなり「自然」になる。
 
そう思うと、僕たちが自然にできていて、
「できている」という実感すらないことも、
「できない」からすべてはじまって、
「できる」ようになり、
さらに「できる」ことの実感すら消え自然になった。
 
「できるようになりたい」と思うけれど、
その「できる」という実感をも感じない、
「自然にできる」ということが、
「できるようになりたい」という想いの
 「できること」の向こうにあったことを気付かされた。
 
本当に「できるようになりたい」というのは、
「できない」との比較の中で生まれる「できる」ではなくて、
自然的な、できる自覚すらない「できる」ことなのかもしれない。
 
だから本当はできていることがいっぱいある。
でも、本当にできているから、
それは 自然的な「できる」まで
自分の中で深まっているから、
できていることはきっと気づかないのだと思った。