本当に「できるようになりたい」というのは、
「できない」との比較の中で生まれる「できる」ではなくて、
自然的な、できる自覚すらない「できる」ことなのかもしれない。
だから本当はできていることがいっぱいある。
でも、本当にできているから、
それは 自然的な「できる」まで
自分の中で深まっているから、
できていることはきっと気づかないのだと思った。
小6-1のプリントは今まで学んできたことの復習問題。
割り算の暗算も、久しぶりに出てきた問題なのに自然とできていた。
けれど元々は、この割り算の暗算だってできなくて、
それが時間をかけてできるようになって、
今は自然にできている。
今できていることも、
もともとはできなくて、
でもできるようになって、
そして今となっては、
その「できる」も越えて、 自然になっているのだ。
今、「できない」と思えていることも、
やがて「できない」から「できる」になり、
そして、「できる」という実感もなくなり「自然」になる。
そう思うと、僕たちが自然にできていて、
「できている」という実感すらないことも、
「できない」からすべてはじまって、
「できる」ようになり、
さらに「できる」ことの実感すら消え自然になった。
「できるようになりたい」と思うけれど、
その「できる」という実感をも感じない、
「自然にできる」ということが、
「できるようになりたい」という想いの
「できること」の向こうにあったことを気付かされた。
本当に「できるようになりたい」というのは、
「できない」との比較の中で生まれる「できる」ではなくて、
自然的な、できる自覚すらない「できる」ことなのかもしれない。
だから本当はできていることがいっぱいある。
でも、本当にできているから、
それは 自然的な「できる」まで
自分の中で深まっているから、
できていることはきっと気づかないのだと思った。