そのまんまたろうのブログ

そのまんまこそ本物だ。自分のそのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

Sonomamma Taro no Blog

そのまんまがあるだけ。そのまんまを、受け入れ、認め、ゆるし、愛しています。

V.O.P予告篇その5『キヨシどん斯く語りき』上映会の感想と振り返りシート

f:id:taroshio:20171024232040j:plain

 

  • 私からみるとキヨシどんのどこがビョーキなのかよくわからない。けど、自分をコントロールできない衝動があるのは、ビョーキとしてみてもいいのかもしれない。自分をどうしたらいいのかよくわからなくなって、親に連れられて行くビョーインがあって良かったなぁと思う。たくさんの何かを背に人は育つけど、キヨシどんがビョーインに来たのもそういう愛の結晶であると思われた。ビタミン愛とは何か。 

 

  • 途中、何を言っているのかわからなくて、ふりかえりのときに「もっと字幕があれば良かったな」というご意見がありましたが、私もそう思っていました。聞きとれず、後になってわかった部分もあったので、それはもったいなかったなと思いました。キヨシさんがご自身の病気を受け入れてて、治らない前提で向き合われている姿はとてもカッコイイと思ってしまいました。自分の弱さをさらけ出せるあの強さはどこからくるのでしょうか。自分ももっと自分と向き合い続ければ強くなれるのかな…と思いました。

 

  • べてるの家の映画を観るのは2回目で、早坂潔さん(キヨシどん)の回は初めてでした。とくに印象的だったのは、語っているさまのあかるいことです。内容は重いことのときもあるから、それを負い目なくフツーに話せるのはすごい。自分なら劣等感と受けとめてしまうようなことをキヨシどんはなんでさらりとやっていけるのか、というふうに観ました(どう見えたというだけなのですが、実際はそんなに易しいことではないとおもいます)。観おえたあとに肯定感がありました。みて良かった。

 

  • 自分の常識範囲外にいかにでられるか、想いを馳せることができるのかは、社会が自分にとっても生き暮らしやすくなる上では大切なチカラであろう。『自分—他者—社会』のように横断して物事を考えられることも大切だ。他者を責めるでなく、できることを持ち寄り感謝し合いながら、地域の中で育まれる日常を、他人事でなく私自身でつくっていかなければならない。どんな人も守られ生きることができ、どんな人も参画していける世の中のために、もう少しチカラを込めて暮らしていきたい。

 

  • 初めてべてるの家を映像で観て、25年も前からこういう場所があったことがすごいなぁと思った。もっと知りたいなと思った。私が生きている社会よりも、人と人とが対等、フラットで主体的で、自分自身と向き合えるところでステキだと思った。そしてとにかくいつも前向き、明るいきよしさんは調子が悪い時もあるけど楽しそうだった。皆さんの印象に残ったキーワードを聞けて、また違った視点でふり返ることができた。

 

  • 以前にべてるの本を読んで、実際にどんな雰囲気で活動しているのか知りたいと思っていました。自分でできないこと、困難なことに挑戦すること、限界を知ること、エネルギーをうまく配分すること、自分を語れるようになることが大切。また見守る人がいることが大切。良い状態も悪い状態も知っている人がいることが大切だと思いました。

 

  • 早坂さんのすごく調子がいい時と、悪くなると手がつけられなくなる状態、全く同じではないけれど、自分や自分の周囲で苦しんでいる人とアップダウンの感じが似ている人がいて、共感した。自分も最近は調子が落ちているときでも、たんたんと自分の状況を見れるようになってはいるが、早坂さんはその姿を人前に出て見せているのがすごいなと思う。苦しくてもきちんと困難を生きている感じがした。べてるの家や病院の先生たち、町に住む人たちが病気をもった人たちをそのままうけいれて、むりに治そうとせず、一緒にすごす姿勢がいいなと思った。

 

  • キヨシどん=面白い人。という前情報が良くも悪くもあったので、病気がひどい時、あんなに落ちてしまうのか…と少し驚きました。言葉の選び方というのか、センスにはうらやましい気持ちになります。「ビタミン愛をもらいに来た」とか、自分でも言ってみたい。「俺とあなたの仲じゃないのか」という言葉。態度、言葉の中に優しさが込められている気がしました。だから、キヨシどんは愛されるのかなぁと思いました。私も優しく(自分じゃなくて)人に優しくありたいです。

 

  • べてるの映画を少しだけみたことがありましたが、今日は何人かとふり返りができたことがよかったです。それぞれ気づいたことを言える環境があるのは、ステキなことだと思いました。私は普段、精神保健福祉士として精神科のデイケアで働いているのですが、私は何も知らず、何をやっていたんだろうと悲しく情けない気持ちになりました。誰でも思ったことを発言でき、受けとめてもらえる環境があり、ものごとを両面あるいは多面的にとらえていける場が働いているデイケアにもあったらどんなにいいかと思いました。

 

  • 自然に自分に向き合い、調子の良い時の自分も悪い時の自分にも素直に従っている事が自分を受け入れるということなのかなと思った。私はできているのかな? できていないから、右肩〜手先にかけてシビレ固まってしまうことをほんの3〜4日前に気づいた。精神に障がいを持った人に仕事を一緒にしようと持ちかける勇気にも心を動かされました。私も次の自分に進みたい!!

 

  • キヨシどんが予告編1の冒頭に出てくるシーンがとても印象に残っていて、そのシーンはただキヨシどんがただ話している中に、何か語りきれないような経験や想いがあるように感じていた。今回、そのキヨシどんの日常が映し出された映像をみて、そのときに感じられた語りきれない言葉のようなものを感じることができたように思う。一番印象にのこっている言葉は、〝限界や病気は変わらない〟ということ。けれど、それを取り巻く状況や環境は変わっているということ。キヨシどんの限界値はずっと変わっていないけれど、会社がよくなっていったり、様々な変化がある。病気のような限界をよく尻、語れることができるようになっていくと、その中で自分から提案ができたり、自分とうまくつきあって生きていけるのだと感じました。

 

*振り返りセッションで出た付箋

f:id:taroshio:20171024232406j:plain

f:id:taroshio:20171024232430j:plain