2016年8月30日に、上映会の第一回目を行いました。
第一回目は、予告編その1を上映したのですが、感想シートを書いてもらうのを忘れてしまいました。
2017年10月7日は、第5回目の上映会は、予告編その⑹を上映したのですが、
予告編その⑹は、上映時間が35分ということもあり、
予告編⑴も合わせての上映会となりました。
以下、
2017.10.7 V.O.P予告編⑴・⑹ 上映会を終えての参加者の感想です。
⚫︎このそのままでいられる空間を、場をいかにして生み出していったのか。“自分たちで決める、関わる”こと。すべてのことに、病気になったこと、何かができないこと、だいたいみんな眠いこと、意味があって。というか、それだからこそ生み出せたものがあるということ。ええかっこしいの滝さんもそのままのええかっこしいを認めること。そんな中だから生きられること。この場が、雰囲気がすごく好きで。
⚫︎べてるが何かもよく知らず、参加しました。
べてるの家、おしゃべり、ごちゃごちゃしているところが自然でした。
映画は観ているようで流れてしまったので、その後のシェア会してもらってよかったです。みなさんの印象に残った言葉、そうそうと記憶に再現しました。
シェア会のべてるは問題だらけ。問題を次につなげていく。というのが私に響いたなぁ。日常、問題あっていいんだ。それがフツーで、ある意味問題があることで現状が停滞することなく進むことができるんだな。
⚫︎今このタイミングでここへ来たのもすべて決まっていたのだと思います。数年前の私なら、「へー、すごい」で終わっていたと思います。
今日観た感想は「うんうん、そうだよな、うんうん、分かる。」そんな感じでした。私が大きく変わったのだと思う。“私はわたしのまま”でいいし、皆がひとりひとりちがって、比べようもない。子供たちが不登校になり、それを実感しています。ごくごく当たり前の生き方、当たり前のことがどれほどムシされ、苦しんでいたのだろう…と。笑うことって最強やと思う。困難さえ、障害さえ味方にして笑う。とにかく誰が誰だろうが「人対人」これに尽きる。
⚫︎「自分で考えて自ら(自分で)行動する」…これは今のわたし自身が直面している課題でもあるなと思っていたので、ここでもいい意味でつきつけられてびっくりしました(笑)。「いろんな人たちがいることで土壌(ここではべてるの家)があたたまり、誰もが善人である必要がない」というお話しをきいて、「みんなちがってみんないい」をうたわれた「私と小鳥と鈴と」という詩を思い出しました。(金子みすゞ氏…)“精神病”であるとか、“障がいを持っている”“持っていない”というわけ隔てなく成り立っているべてるの家。20年以上も前からあるのに、同じような場が増えていっていない?のは何故だろう。他ではマネできないからかな?それとも形を変えて存在している。その精神を受け継がれているのかな?とふと思いました。
・1対1には限界があり、共有できる場所があるから限界が乗り越えられる。
・問題が何もないことはまずない
・(+)も(−)もチャンス
・3度の飯よりミーティング
・集まってくる人がルール
あと一歩が踏み出せない私の背中を押してくれるようなたくさんの言葉に出会いました。場に感謝!出会いに感謝!美味しいコーヒーに感謝!ありがとうございました。
⚫︎下請けはイヤだ。
“自分達でやろう”というのがスゴイ!!
組合と観光協会を相手に選ぶというやり方は、これからのやり方としても面白いよナ〜
⚫︎今回のタイトル“リハビリテーションよりも商売(コミュニケーション)”とあるように、病気や何か問題と直面した時に、その問題をなんとかしようとリハビリしたりするけれど、べてるでは、その問題や病気を、1つの事柄としてとらえずに、その問題の根っことなる部分につながるためのリハビリ=商売をしているように思えた。そのように考えると、働くこと、商売することって、とても有意義なものだと思えるし、その中で味わえる苦労や問題を自分のものとして、実感できる働き方、商売は、生きるためにお金を得るために“働く”を超えた、生き方を問われるものとなるように思いました。
⚫︎私が今回の上映会で最も印象的だったのは、向谷地さんや川村医師がべてるのメンバーの人たちと対話をして生きている姿です。どうしてべてるの家の人たちが安心し、自分の家のようにあの場でだんらんし、くつろぎその人でいられるのか?それは向谷地さんや川村医師はじめ、その人そのものと対話をし、生きてくれる人と出会い、関係し、共に生きているからだと思います。それが山崎さんそのものは、変らなくとも人との関係が変わることで、心の状態は、変容し、笑えるようになるのだと思います。そして、きよしどんや、石井さんが体調を崩したり、工場長とのトラブルを起こしても、それをただの問題に終わらせず、べてるの家が生まれるきっかけとなり、自分達で商売をするというチャンスに変えるのだと思いました。人の存在そのものと、個性や能力と、問題(トラブル)と病と地域とそこに住む人たちと、丁寧に耳を傾け、そこにある価値とは?意味とは?問い続け、聴こえた声をそこにいるみんなで共有し、みんなでひとりひとりの多様性を活かし、行動していくことで“べてるの家”を生み出しているように感じました。今回は寺子屋塾との共通点やファシリテーション講座で学んだことから、ファシリテーションとは対話の核となる黒子役であると見えてきました。
⚫︎「弱いところに、もっと弱いところにあるもの。それは素晴らしいというか…」そんなこと言われたら、泣いてしまうではないですか。そんな風に思いながら、この言葉は、自分のために、いつかの誰かのために、胸の中に大事にとっておこう、と思いました。自分を肯定することがとても難しいと思っていますが、べてるの人達ののびのびさを見た後は、私にもできるんじゃなかろうか?と希望が持てます。
振り返りのセッションで出た付箋