らくだメソッドの学習を開始して
もう少しで1年になります。
1日1枚計算プリントをやるということを続ける中で、
毎日「できる」「できない」とか
「何分でできた」「ミスは何個だった」とかいう事実が生まれてきます。
そういう事実への向き合い方や感じ方が
毎日毎日違います。
そういう中に日々変化している自分が映し出されてくるのだと思います。
そんな風に、日々の日常の中で自分の状況を掴みながら、
気づき学んでいきたいと思います。
そのためには、自分の日常を外へ持ち出したり、
他者と共有する機会を持つ。
そうすることで「日常」が、
僕の日常の中に馴染むことなく、埋まることなく、
僕の「日常」に存在してくれるように思いました。
せっかくフェイスブックでこれだけの人と繋がれているのだから、
もう少しこういう環境を生かしながら、
学んでいけたらなと思いました。
それは、今の時代だからできる学び方でもあるのだと思います。
自分の身の回りの環境や、
時代に合わせて自分で学んでいけるような力を、知恵をつけていけたらなと思いました。
日常の中で学び続ける
「日常」の中で自分の事実を把握し、
日々、自分で自分に気づき、学んでいけたらな。と思う。
らくだメソッドの「1日1枚というプリント」というのは、
まさに僕の「日常」の中にあり、
毎日の自分を映し、認識できるツールであるように思う。
けれどここ最近、プリントを通して現れてくる
「事実」に対する自分の実感が、
以前よりも薄れてきているように感じていた。
プリントをやった日も、
「プリントをやった」という実感、
プリントをやらなかった日は
「プリントができなかった」という実感が薄い。
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「1日1枚のプリント」は半年前も今も、
同じように僕の日常の中にある。
けれど、半年前の「プリントをやった」「プリントをやらなかった」という事実が、自分に与える実感の重みが、
今と半年前とでは少し変わってきているような気もする。
「1日1枚のプリント」というものが、
僕の日常に徐々に馴染んできているのかもしれない。
だからこそ、その事実による実感の重みが
薄れているのかもしれない。
日常の中で、事実を見つめることの難しさが
ここにあるように感じた。
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毎週1回、中村教室に足を運ぶことの意味合いを深く感じた。
(毎週1回、中村教室へ足を運び、1週間の記録表のシェアをし、向こう1週間のプリントを持って帰ります。)
自分の日常を外へ持ち出す。他者と共有する機会を持つ。
そうすることで、1日1枚という「日常」が、
僕の日常の中に馴染むことなく、埋まることなく、
僕の「日常」に存在してくれるように思う。
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日常の中でいかに自分をみつめていくのか?
ということを考えると、らくだのプリント以外にも様々な工夫ができるように思う。
SNSがこれだけ発達し、
たくさんの人と繋がれている。
そういう環境の中に、
自分の日常を持ちだしてみたい。
そうすることで、自分の日常に埋まってしまう「事実」もとどめることができるのかもしれない。
時代はいつも変化している中で、
その時代にあった学び方を、
自分なりに模索しながら進んでいきたいと思った。