“事実に思いがのる”
ブログを書いていく過程の中で、
気づきや学びが溢れてくることがある。
逆に 、気づきや学び、伝えたいことがあって、
それを言葉にして書いてみると、
なんだか言葉に思いがのっていない時がある。
そんな時、「事実」を書くことで、
その事実に自然と思いがのるという話を聞いた。
その言葉がずっと気になっていた。
僕の記事の多くは、らくだの計算プリントの内容が多くなってきた。らくだの計算プリントの内容だと、自然と「書く過程」で気づきや学びが生まれてくることが多い。
それは、らくだの計算プリントでは「事実」が明確に生まれているからなのだと思う。
今日はプリントができたか、できなかった。
何分でできたのか、ミスは何個であったか。
何時にプリントをやったのか。
そういった事実が分かりやすく現れてくる。
だから自然と、「具体的な事実」を書きやすい。
その事実を書いていると、
その過程の中で気づきや学びが溢れ、
自分の想いが言葉にのりやすい。
これは、「事実」を書いている中で、
その「事実」がより自分の中に具体的に現れ、
より具体的な事実を改めて見つめることが、書くという過程の中でできてくる。
だから、気づきや学び、想いが書く過程の中で生まれてくるのかもしれない。
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自分の日常の中で、「事実」ということを見つめることが、
以外にも難しいのかもしれない。
できる・できない
わかる・わからない
知っている・知らない
美味しい・まずい
綺麗・汚い
良い・悪い
なにが事実なのだろうか。
自分が事実だと思っていることは、
事実というよりも自分自身が形作っているものにすぎない。ということが意外にも多い。
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どうしたら事実をつかめるのだろうか。ということを考えると、
「数字」が事実を浮かび上がらせてくれる、
ひとつの頼りのようにも思う。
わかる・わからない
知っている・知らない
美味しい・まずい
綺麗・汚い
良い・悪い
これらの境はどこにあるのだろうか?
ということを、言葉で語るのはとっても難しい。
なにをもって、わかるとするのか?わからないとするのか?
なにをもって、知っているとするのか?知らないとするのか?
それを言葉として線引きするのはとっても難しい。
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その点から考えると、らくだの計算プリントは、
数字で「できる」「できない」
ということがはっきりと、明確に現れてくる。
「数字」をうまく使って、
自分の事実をうまくつかめるのかもしれない。
らくだの計算プリントのように、
「数字」という記号をうまく使えれば、
自分の事実を、ただ見つめることができるのかもしれないと思った。
そして、「数字」はあくまでも
自分が現状を、事実を掴むための道具というか、「頼り」にすぎないのだと
思っていることもまた大事なのではないか。とも思った。