そのまんまたろうのブログ

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1枚のプリントから生まれる気づき

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らくだの学習のなかで、

1枚のプリントから、
 自然とさまざまな気づきが生まれてくる。
 
この僕の気づきは一体どこにあるのだろうか?
 
この「プリント」が最強の教材で、
これをやれば、ひたすらに気づきがゲットできるのか?
 
そんなことを思ってみた。
 
たとえば、僕が山にこもり、このプリントをもって一人で
らくだの学習をした時に、こういう気づきが生まれるのか?
と思うと、そんなことはないだろう。と思う。
 
** ** **
 
毎週1回、中村教室に通塾し、井上さんや同じ学びを深めている人との対話ができる場がある中で、この1枚のプリントが、僕の1日の中にある。ということが、僕から「気づき」や「言葉」が溢れ出てくることにとっても大きな意味があるのだと思う。
 
僕にとっての、らくだメソッドの計算プリントは、「ただの1枚の計算プリント」という意味では収まらず、そのプリントの向こうには、さまざまなものが関わり混じり合っている。
 
それは、同じ学習を深める仲間との関係性や、教室で読んだ「本」との関係性、教室での対話内容、僕自身のこれまでの経験…
 たくさんのものが関わり混じり合う中で、この1枚のプリントが1日の中にある。
 
そう思うと、自分から溢れ出る「気づき」は僕が生み出したものでもなく、プリントの中に仕組まれた「気づき」でもなく、
僕と関わってくれている人やもの、こと、
その関わり混じり合う、さまざまなものの存在によって生み出されたものなのだろう。
 
僕がプリントと向かい合うとき、
1枚のプリントの向こうには、
時空を超えて、さまざまなものとつながりあっている。
 
僕が今以上に時間を超えて、空間を超えて
プリントの向こう側にあるものを深めることができたら、
プリントを通して、僕から溢れてくる気づきや、言葉はもっともっと深いものになっていくのかもしれない。
 
** ** **
 
そんなことを思うと、
僕自身から溢れてくる言葉や気づきって、
とっても大きなものだと思うと同時に、
目の前の人から溢れる気づきや、言葉ってものを、
本当に本当に大切にしたいと思いました。
 
 

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