そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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挑戦・チャレンジ

何を挑戦というのか?

 
小4 39~41
 
時間内には確実にできるようになったのだけど、
足し算や引き算の時みたいに、
頭より先に身体が解いてくれるような、
そんな感覚で問題が解けるようになりたい。
 
そう思って、何度もこのプリントを繰り返しやっているのだけれど、
そろそろ限界というか、何かを変えなければいけないな。という気がしていた。
 
どうしたら身体に染み込んでいくのか?と考えたとき、
それは「速さ」を意識することで鍛えられるような気がした。
 
そう思って、今までの記録表を見返してみると、
僕は今までの計算プリントで、ミスが4つ以上あったプリントはほとんどない。
 
今までそのことに関して、何も問題はないと思っていたし、
むしろ一問一問を丁寧に解けているから、いい事だと思っていた。
 
だけど、「なぜミスが4つ以上がないのか?」という問いに向き合ってみると、
 
「ミスをしてはいけない」という意識がいつも解いているときにあるし、
ミスが少ない方がいいことで、丁寧にできている証拠だ思っている自分がいる。
 
もちろんそうとも言えるかもしれないけど、
そういう自分の意識があるからこそ、鍛えられない、
磨かれない部分があるということを忘れてはいけない。
 
今の僕にとって、大切なことは「ミスを少なく丁寧に解く」ということよりも、
むしろその意識を手放していくことなのかもしれない。
 
もしかしたら「ミスをしない」という意識が、
体へしみ込んでいくことのブレーキになっているのかもしれない。
 
ミスをしてもいいから、「速さ」を意識して解いてみる。
問題を見たときに、考えずにぱっと浮かんだ数字を
どんどんプリントに書いて進んで行く。そんな姿勢で問題に取り組んでみたい。
 
きっとそんな解き方をしたら、
ミスは確実に増えていくし、また新たなできない体験が現れてくる。
 
でも、できるようになりたいから、やれるのだと思う。
こういうことが「挑戦」とか「チャレンジ」と言うのかもしれない。
 
今の自分を知らずして、
挑戦もチャレンジもできないし、
 
挑戦すること、チャレンジすることは
いつも自分で見つけられるものだし、
自分でやるかやらないかも決められるものだとも言えると思う。
 
***
 
やることはいつもと変わらない1枚のプリントであるし、
挑戦といっても、外から見れば
ほんの些細なことなのかもしれない。
 
でも、自分にとっては挑戦で、
自分で見つけた、自分で決めた挑戦であって、
結構大きな挑戦とも言える。
 
誰かの挑戦も、きっとこういうものなのだと思う。
 
僕からは見えにくいし、
外に現れるものは、ほんの小さな小さなことなのかもしれないけれど、
目の前の人は、自分で見つけて
自分で決めたチャレンジをしていることがある。
 
それは、小さそうで意外にもその人にとっては
大きな挑戦なんだよなと思いました。