なぜこのらくだメソッドだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれるのか?ということが
とっても不思議だなと思っています。
今までの経験でも、
「できない」ということには、たくさん出会ってきたわけだけど、
その「できない」ということからなぜか目を背けたくなったり、
できるふりをしてきました。
そして、「できない」ということが原動力になったとしても、
そこには必ず自分以外の誰かの存在があり、
あいつには負けないように、、、とか、
誰かに褒めてもらったり、
あるいは怒られないように、、、など、
そんな形でしか「できない」を原動力にできずにいました。
だけど、 この1日1枚の計算プリントで、
「できない」ということに出会えること、
そして、その体験からの気づきや発見を通して、
「できない」ということとの向き合い方が少しずつ変わってきたように思います。
でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
という問いがいつも生まれてきます。
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学校の勉強で「できない」ということに直面したことは、幾度となくありました。
そんな「わからない=できない」体験を振り返ってみると、
さまざまな「わからない」という状況があるように思います。
たとえば、ある問題が解けず、
なにが「わからないか?」と聞かれた時に、
自分が「わからない」と思っていることも、
そのことを理解するために、
分かっていないといけないことが、
「わかっていない」ことだってあるし、
自分では、どこが分からないのか「わからない」ということだってあります。
そんな時、まわりの先生だって、親だって、本人がどこでつまづいているのかがわからない。。。。
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況がかなり曖昧な状況にあったように思います。
一体自分はどこで、何につまづいているのか、、、と。
「できない」体験って、意外と曖昧だったのかも!と思います。。。
この点から考えてみると、
らくだメソッドでは、
自分がどこでつまづいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまづいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
プリントを通して出会う「できない」という状況は、
かなり「明確なできない状況」のように思います。
「できない」が明確であるからこそ、
「できる」ことも明確になってくるのだと思います。
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明確な「できない」状況を作るために。
この明確な「できない」という状況はどのようにしたら作ることができるのか?
このプリントを初めてやったとき、
かなりスモールステップで、ゆっくり進んでいくなと思いました。
1枚のプリントの中で、おさえなければいけないポイントは
ほぼ1つにまとめられていると思います。
初めてやったときにそのような実感があったのだけれど、
この実感こそ、明確に「できない」状況を作ってくれているのだと思います。
それは、このプリントが、
1つの領域を(たとえば約分とか)を徹底的に分解して、
1つ1つの要素を、丁寧に順序よくまとめてあるからだと思います。
そして、学習者がどんな状況にあり、どんなところでつまづくのか?
ということをみっちり考えられて作られていると思います。…ヒントの出し方が絶妙だったりします。
(平井さんは息子さんのためにこの教材を作られたというエピソードがありますが、
まさに学習者が我が息子であったからこそ、ここまで考えられたのでは!と思っています。)
その点から考えても、
明確な「できない」状況を作るためには、
物事をあらゆる角度から見つめ、考えること。
物事を分解するということは、
身のまわりに起きている、「小さなこと」を大切にしていくということにも繋がるように思います。
明確な「できない」状況に出会えることができれば、
「できない」という自覚が芽生え、
明確な「できる」自分と出会える。
だからこそ、明確な「できない」状況はどのようにして生まれるのか、
ということを問い続けたいと思いました。
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