足踏み脱穀機や唐箕がけに触れて感じたこと。
足踏み脱穀機や唐箕がけという名称を、
小学校の時にただただテストのために覚えていた。
意味もわからず。
歴史を学ぶために社会科見学にも行った。
その当時の学びの意味が少しわかったような気がする。
その時代の道具に触れることは、
その時代の人たちの気持ちに触れることだと思った。
その時代の人たちは
何を大切に生きていたのか、
どんな暮らしをして、
どんな幸福感を感じながら生きていたのか。
それが、道具を通して伝わって来る。
道具にその時代の色が凝縮されている。
歴史を学ぶことは
それを感じて、
今の自分、今の社会を問うことのように思えた。
自分の幸せってなんだろう。
今の自分の暮らしってどうだろうか。
↑足踏み脱穀機
↑唐箕
風をおこして、完熟したお米は手前に(これが一等米というらしい。)、軽いお米は手前から2番目の出口に落ちます。
そして、ホコリや未熟米は風に乗って外に吹き出されます。
足踏み脱穀機も、唐箕も作りがとってもよくできていて感心しました。
決して楽な作業ではないし、
一人でやるのはとても厳しいからこそ
誰かと一緒に作業して協力しあって、
歌でも歌いながら、時には休憩しながらやっていたんだな〜と思います。
楽ではないけれど、その手間のかかる過程こそ大事なのだと思いました。
もちろん今の時代だからこそ、
やれることもあるし、
得られる豊かさもあると思うから、
歴史に触れながら、
今に問いを持ってより豊かに進んでいけたらいいな◎