育児放棄ということについて考えてた。
何もしないことは、育児放棄だと言われることがあると思うけれど、
その子に対して「何もしない」ことが育児放棄になるかといったら、
そんなことはない。と思った。
もちろん、その子供に対してこうなって欲しいとか、
子供への「想い」が一切なくて、
「何もしない」というのは、
育児放棄かもしれない。
ただ時が来たからとか、
周りの子供がこうだからとか、
社会がこうだからとか、
その子の今の状況を何も考えずに、
何かを教えたり、無理やり環境に突っ込むこともまた、
育児放棄とも言えるのではないかとも思えました。
多くのお母さん、お父さんが悩み、葛藤しているのは育児放棄していないからだ。
その子の今抱えていること、
目の前にある問題や課題をしっかりと見つめて、
そのためにどのような関わり方をすることがいいのか、
それを常に問い続けることこそが、大切なのでは。と思った。
その問いかけを放棄することこそが、
育児放棄なのではないかと思った。
だから、「何もしないから」「何も手助けしないから」といって、
育児放棄だというのも変な話だと思った。
何もしなければ、手を加えなければ、
その子の今の状況が正しく見える。ということもあると思うし、
そこから何かを気づいて、どんな補いができるか、
問うことができることだってあるのだから、
「何もしない」からといって、
育児放棄と決めてはいけないのだと思った。