そのまんまたろうのブログ

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2016.6.9 考現学に触れて

2016.6.9

問題は常に解決に向かって動いていくはず。

 

問題は解決を求める。

だから、本当の問題は、

「問題」を問題としてとらえないことなんだ。

 

問題を素直に受け入れて、

見つめることをしないことなんだ。

 

問題を受け入れたら、

もうその時点で、解決という方向へ向かって、

進んでいくだけ。

 

問題というものを感じながらも、

見つめずに、受け入れなければ、

解決への方向も分からない。

 

だから、問題は一向に解決されない。

 

問題があれば正常。

問題がないことが、異常なのかもしれない。

 

きっと、その問題を受け入れる、見つめるというのは

自分の今、の現状を把握すること。

 

本当の今の現状と、

僕らが捉えている今には、

きっとズレが生じている。

 

そのズレを感じ、気づき、

素直に受け入れること。

 

そうすると必ず人は

正しい方向を見つけ、

自動的に進んでいく。

 

(ニューボランタリーレビューを読んで)

 

2016.6.9

 

平井さんの実際の考現学をよんで、

かなりの驚きというか、考現学の威力みたいなものを感じた。

 

今この瞬間に自分が感じていること、

思っていることをただ正直に書くこと。

それも、誰かが読んでいることを想定して。

 

ただそれだけのことなのに、

自分の中にも、そして読み手に対しても

「気づき」や「学び」や「問い」を与える。

そんな考現学の威力を感じる。

 

実際に、今ここに書いている、この内容も

何も考えずに、ただ思ったことを書いているだけ。

 

でも、自分の中にこれだけの思いがあることにとても驚く。

 

そして、この僕なりの考現学というものを誰かが読むことで、

何かの気づきや学びや問いが生まれる可能性もあるのだ。

 

実際に平井さんの考現学を読んで、

かなり強烈な印象を抱いた。

こんなにも、自分の感じたこと、

思ったことに対して、

他者にどう思われるかを考えずに書いていること自体が。

これこそが考現学なのかという感じ。

 

でも、実際にその文章が誰かを救い、

誰かに気づきを与え、場をも変えている。

それにもまた驚いた。

 

ここで感じたことが、

平井さんの考現学

本当のことをただ見つめようとしているといこと。

その考現学が、今の本当の現状を伝えている、

というか、本当の現状を見つめようとする想いが伝わって来る。

 

だから読んだみんなの中に、

本当の今を見つめよう、見つめて良いんだ。という想いが湧いてくる。

読み手の意識も、場自体も変わるんだと思った。

 

そして、全てが場の力によって

自動的に良い方向へ向かっていくのだと思った。

 

とにかく、今この僕の中に希望というか、

僕が感じること、思っていること、

気づいたこと、問いこそがめっちゃ価値あることなんだなって感じた。

 

それを大切に、丁寧に言葉にしてあげようって思った。

(ニューボランタリーレビュー no.7から)

 

 

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