今年も残りわずかとなりました。
21日が返送日でしたが、遅くなって25日となってしまった。
返送日にきっちりと返送できるときもあれば、
返送日よりも遅れて返送するときもある。
返送日があることで、今の自分のプリントに対する姿勢が確かめられる。毎日プリントに取り組んでいれば、返送日が近づいてくることの自覚もできるけれど、毎日プリントに取り組めなければ、その実感もまた少なくなる。
だから返送も遅れてしまう。
教材を送るだけのことなのだけれど、
そこにも自分を自覚できる仕組みがあることが
なんかうまくできているなーと思ったりする。
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学習の記録を積み上げていくことで、関係性が変わる
スクールで子どもの学習に関わるようになって、らくだメソッドの教材は使用できない中で、どうしたららくだの学習を生かせるのか?ということを考えていた。
まずこの2ヶ月で、学習した教材をストック&記録していくことを試みてみた。(子どもたちが取り組んだプリントを、1日の終わりにまとめる)
まとめ方は、1日の最後にやったプリントをまとめて、その一番最上部のプリントに ・日付 ・プリントの内容(因数分解とか) ・どのくらいできたか(◎・△・×) を書いておく。
いきなり子どもにやってもらうのはハードルが高いので、まずは僕がこっそりとはじめてみた。そして、翌週子どもと会ったときは、その記録をみながら今日はどこをやろうか?(先週・先々週はここやったね)ともちかけてみる。
らくだの記録表ほど記録の正確性はないけれど、この学習記録を共有することで、子どもたちとの関係性や、子どもの学習に向かう姿勢が変わったように僕は感じている。
今までは、その日その日の気分できっと教材を決めていたのだけれど、自分の学習の記録をもとに、今日の自分の学習の選択をしていく経験はこれまでになかった「選択方法」なのだと思う。
先週の記録をもとに、今日の学習の選択をすれば、自分の選択の自覚も深まる。今までは適当に、気分で決めていた選択が、少しだけ今の自分に最適だと感じる選択につながっていく。そこに選択の自覚が生まれてくる。
選択への自覚があれば、学習に対する姿勢も変わってくる。
そして、子どもにとって自分の学習の記録をストックしてくれること(次のステップは、自分でストックしていくことだと思うけど)共有してくれることは、指導者との関係性も変化させるようにも思う。
まずは指導者が、できる記録もできない記録も、やらなかった記録も、ただ大切にストックしておく。その行為って、ただストックしているだけのように見えるけど、子どもにとっては、今のできない自分、学習をやらないでいた自分、プリントをくしゃくしゃに丸めた自分をも受けいれて、大事にしているのだということが、伝わるような気もする。
本当にわずかなことなのだけれど、
そうやって少しだけ、学習の環境(仕組み)を変えるだけで、人の学ぶ姿勢って自然と生まれてくるのかもしれないと感じている。
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自分の学習状況はというと、ようやく因数分解をクリアした。
ようやく2次関数に入り、中学の学習はあともう一息だ。
因数分解は、なかなかクリアできず、「これ本当にクリアできるの?」とか、
「クリアできたみんなすごいなー。」という気持ちがあったけれど、
結果的には、クリアできた。
らくだのプリントをやっているとよくこういうことがあるのだけれど、
「これ本当にクリアできるのかよ?」という自分というのは、
とてもいい加減なものなのかもしれない。
何をもってそれを言っているのだろうか?笑
「これ本当にクリアできるのかよ」とか、
「自分にはできない」とか、
そう捉えてしまう自分っていうのは、大変いい加減であって、
「今の自分」の捉え方や、
時間の捉え方、
能力の捉え方、
いろんなことがいい加減に、自分の勝手な解釈で済ませている。
そして、それを自分自身にだったらまだいいのだけれど、
他者に対してもそういういい加減さを発揮してしまう。
でも、自分自身にしていることは、
他者にもしてしまうものだと思うから、
やっぱり自分のそういう、いい加減な勝手な解釈に少しずつ気づいていけたらいいなーと思う。