記録表への記入ミス
記録表を振り返ってみると、
記入ミスがかなり多いことがわかる。
プリントの開始時間を書き忘れていたり、
日付の記入場所がずれていたり、
記録表への記入すらできていない自分がいる。
こんな普通のこともできていないということがわかる。
そもそもここでいう「普通」とは何か?ということであるが、
ここでいう「普通」というのは、
何も考えずに、ただ記録表に正しい記録を正しく書き込むということ。
なぜ、こんなにも普通なことができないのだろうか?
それは、プリントに対する自分の姿勢が普通ではないからなのだと思う。
プリントをやらなくては。と思ったり、
プリントいつやろうか。と思ったり、
ここ最近は、プリントに取り組むことが
普通のことではなくなっている。
だからこそ、プリントの結果を記録表にただ書き込むという
いたって「普通」な行いも、普通のことではなくっているのだ。
何気ない、些細なことだからこそ、
今の自分がしっかりとそこに映し出されていくのだとおもう。
だから、そういった小さな現状をも大切にして、
なるべく今の自分の状態を観察して、自分で自分を整えていける自分でありたいとおもった。
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もうすぐ中3
なんだかんだでもうすぐ中学3年生のプリントに入る。
この自分の学習進度のはやさは、他者と比べて早いのか遅いのかはよく分からないし、他者に比べてどうこうということへの興味は湧かない。
そんな学習環境のなかで、自分の「学習進度」について考えてみると、
やはり自分が学習を積み上げられてきたか?
(自分が毎日プリントをできたのか?)ということを振り返らざるおえない。
そして、もっとできなかった日をできた日にできれば、
この学習進度もはやく進んだのだろうということを思う。
自分の計算力とか、もともと持っている素質みたいなことではなくて、
自分が毎日毎日コツコツと1日1枚を続けてこられたか?
ということを振り返ることになる。
「続けることで必ずできるようになる」という前提のもとに学習している自分がいることに気づく。
だからこそ、どうやったら毎日プリントに取り組めるだろうか?
どうやったらできない自分を責めずに、できない状況でもプリントに取り組める姿勢でいられるだろうか?
そうやって、計算を習得するプロセスのなかで自分と向き合わざるおえない。
続ければ絶対できるから、
自分の素質みたいなものを「できない理由」にはできない。
この記事を書くなかで、寺子屋塾でよくシェアしてもらう吉本さんのこの言葉を思い出した。
才能があるとかないとか、そんなものは認めない。
そんなのは嘘だ。
本当なのは、そのために手の動きをどれだけやったかということです。
才能なんてものは問題にならない。問題になるのはせいぜい最初の2、3年くらいのもので、10年経ったらそんなことは全然問題じゃなくなる。