そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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2018.5.1 一週間のふりかえり

この約一週間、静岡の実家に帰省し、
いろんなタイミングが重なり、話がすすんだ。
変化をものすごく感じた一週間だった。
 
ただ、この一週間らくだのプリントや考現学の更新が途絶えてしまった。
 
帰省をすると、いつもとは寝るところも違うし、
家にいる人も違う。日常会話の内容だって違うし、
普段の生活とは違うことばっかだ。
 
だから、いつもの日常ではなく、非日常的環境になる。
 
そういう環境の中に、らくだの学習の1日1枚のプリントという
日常性がはいっていると、たとえプリントができなくても、
自分の環境が自分に何か影響を与えているということを感じることができる。
 
プリントがなければ、「できない」経験もうまれない。
いつもと環境が違うことによって、
自分が「できない」経験をしていることが
プリントがあるから自覚することができる。
 
環境によって人は変わることができるというけれど、
環境によって、失ってしまう自分だっている。
自分は、自分の気付かぬところで変化してしまう。影響してしまう。
 
それは仕方のないことだし、避けられないことなのだけれど、
こうやって、何か定点を自分の中において、
自分を観察することができれば、
どんな環境に出会ったとしても、
どんな環境に置かれたとして
自分で自分の人生を描くことはできるのかもしれないと感じた。
 
 

インタビューゲームをこれまで体験して、自分の中に何が残ったのだろう?

インタビューゲームについて振り返る

寺子屋塾の仲間がインタビューゲームを50人とやった報告会に参加した。
その会に参加したことで、自分自身のこれまでのインタビューゲームの体験を
振り返ることができたように思う。

僕自身はおそらく20回〜30回ほどインタビューゲームを行った経験があるのだけれど、
インタビューゲーム1回1回での気づきはもちろん毎回あるのだけれど、
このインタビューゲームを積み重ねた体験の中で、
一体自分の中に何が残っただろう?ということについて考えてみた。
そうやって振り返ってみると、インタビューゲームの3つのルールはすごく今の自分にとって大きな助けになっていると感じた。

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ルール①「何を聞いてもいい」
→聞く側に“聞く自由”を保障します。
自己規制せず、常識に囚われず、聞いてみた
いと思ったことは何でも聞いてみましょう。

ルール②「話したくないことは話さなくていい」
→話す側に「話さない自由」を保障します。聞かれた質問すべてに答える必要は
ありません。安心して「ノー」を伝えて下さい。

ルール③「聞かれていないことも話していい」
→話す側に「話す自由」を保障します。仮にインタビューする側から質問が出な
くなってしまった場合でも、話す側の人は自分の話したいことを話してもらっ
て構いません。ルール②③は、対等に対話できるようルール①に拮抗して設け
られたものです。
(以上、寺子屋塾の井上さんのインタビューゲーム ルール注意事項説明 )

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この3つのルールが自分の身に
染み込んできているように感じた。

だから、人とのコミュニケーションにおいて、
自分が今、どんな聞き方をしているのか、どんな話し方をしているのかということが、
この3つのルールを元に、自分の状況をみつめることができる。
そして、自分自身だけでなく、相手のコミュニケーションの状況もみえてくる。

インタビューゲームの体験をする以前は、
人とのコミュニケーションにおいて、
自分は今どんな姿勢で相手と向き合っているのか、
相手はどんな姿勢で自分と向き合っているのか、という状況を全く判断できなかった。

それは、相手とのコミュニケーションがどのように成り立っているのかを見つめる
自分の基準・軸がなかったからだろう。

けれど、このインタビューゲームの3つのルールは、
その基準・軸になる。だから、人とのコミュニケーションにおいて、
このルールが、自分の状況を見つめる助けになってくれるのだと思う。

仕事をするには、誰かと関わらなければいけないし、
生きていくためには、自分以外の他者と関わらずに生きていくことは難しい。
だからこそ、コミュニケーションが大事と言われているけれど、
コミュニケーションとは、はたしてなんなのか?
インタビューゲームの体験をする以前に、
その問いと向き合うことはほぼなかったし、
聞くこと、話すことについても考えてきたことはなかった。
(問いすら浮かんでこなかったと言ってもいいだろう。)

僕自身もそうだし、多くの人の悩みは、この人との関わりにあると思う。
けれど、その悩みをどのように解決していいのかわからないし、
その状況を、どのように捉えていいのかさえ分からない。

でも、インタビューゲームのこの3つのルール設定は、
こういう人と人との間に生まれている状況を、
3つのルールには、状況をより細分化して、あらゆる方向から
把握する手助けになるだろう。
その手助けによって、今の現状を見つめることができれば、
きっと自分も変わることができるし、
相手の状況に合わせた対応もできるようになるのだと思う。

そういう意味で、インタビューゲームを通して、
この3つのルールが、自分自身の身に沁みこみ、
日常のコミュニケーションの中でこの視点から自分自身を、
そして目の前の人を捉えられるように少しでもなったことは、
自分にとってとても大きな財産になったように思う。

1回1回を積み重ねていくことで、
その1回での気づきや学びはもちろんある。そして、1回の体験が積み重なることで見えてくる気づきもまたある。
2人の振り返りと、自分の体験を振り返ってみても、
積み重ねていくことの大切さ、面白さを改めて感じた。

インタビューゲームも、今後もう少し体験の頻度を増やして、
たくさんの人とできたらいいなと思った。

こうやって振り返りを書いていて、
インタビューゲームを作られた平井さんの詩を思い出したので、
最後に引用しておこうと思う。

月まで行けるようになっても地球が滅びるくらいの爆弾をつくることができるようになったとしても私たちはまだ隣の人とどうやってうまくつき合えばいいのかわからないのです。(いじめられっ子のひとりごと より )

 

↓イベント当日に、説明に使われたものです(^ ^)

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2018.4.23

金曜日から日曜日の3日間は

田んぼの作業で日中は外で作業した。

 

ようやくお米作りがスタートした。

作業で体がかなり疲れたけれど、光を浴びて作業する時間は

すごく気持ちがいい。

 

畑や田んぼをやり始めたのは、

自分の体が求めているから。ともいえる気がする。

2018.4.20 苗床づくり さらさらの土づくりが難しすぎた

今日は朝から田んぼに行って、お米の苗床づくりをして、種下ろしまで行った。

 

比較的時間に余裕もあったので、丁寧に作ることができた。

今年は4年目ということもあり、

比較的作業はスムーズに進んだのだけれど、

1つの作業で、かなり手こずってしまった。

それは、種を降ろしたあとに振りかける時に使う、

さらさらの土を作ることだ。

 

土をさらさらにするのって、こんなに難しいとは。

 

先週の学習会で、川口さんは冬の霜が降りる間に土をとっておいて、

土に霜が降りることで、さらさらの土ができるという話を聞いて、

そんなにわざわざやる必要あるのかな?なんてことを

思っていたのだけれど、今日作業をしてみて、その工夫というか、

知恵ってすごいなーと実感させられた。

 

ただ、土をさらさらにするといういたって簡単に見える作業の中に、

自然をどれだけ知って、活かしていくかというのかなんというのか。

シンプルな中に、深みがあるなーと感じた。

2018.4.18 何を基準に振り返るか の続き

ファシリテーターのときに、どんな視点から

自分を見つめて、振り返ればいいのか疑問に思った。

 

もし、目の前の人に教えることが決まっていたり、

テストに合格させるためだったら、

自分のその人に対する対応や、場の作り方は、

その人の結果を見ればいいだけである。

 

でも、振り返りのセッションの場は、

その場に集まって、映画を共有したみんなが

相互に関わり合いながら、その場にいた人だからこそ

生み出せる場であり、その場だからこそ生まれる、気づきや学びがある。

 

そうなったとき、ファシリテーターは何を基準に

自分を振り返ればいいのか、と、ふと疑問に思った。(ここまでが昨日の記事)

 

そこで、寺子屋の井上さんに質問したときに、

いくつか井上さんの中で大切にしていることをお聞きできた。

 

それを聞いて感じたことは、

 

自分はどういう局面を大切にしたいのか?
場にはどういう力や可能性を感じているか?
参加する人にどういう気持ちでいてほしいか?

そういう「場」への想いがまだまだ育まれていなくて、

ファシリテーターとして存在するだけで一杯一杯だったな。と思った。

 

想いが育まれるからといって、「場」へのアプローチが

大きく変わるというわけではないけれど、

そういう想いがあることによって、

自分を振り返ることができて、

自分自身をまた違った角度から

見つめることができるのだと思った。

 

だから、場への想いが深まることは、

自分をふり返ることのできる視点が生まれることなのだと思った。

 

 

2018.4.17 何を基準に振り返るか

先日、べてるの家のビデオ上映会にて、

振り返りの進行役をつとめさせてもらった。

 

その進行役の振り返りをしてみると、

どうやって自分の進行役として振り返りをするのか?という

疑問が生まれてきた。

 

振り返りのセッションの場は、

これが伝わればOKとか、その場の答えはなくて、

その時に集った人たちが相互に影響しあって、その場は作られていく。

だから事前に答えはないし、

いつも臨機応変に自分が対応していかなければいけないし、

逆に参加者の邪魔をしたり、参加者に固定的な認識を与えてはいけないように思う。

 

だから、自分が行ったことに目を向けるのではなく、

自分が行わなかったことへの振り返りも重要で、

 これはやらなくてよかったとか、これは余分だったなという

点での振り返りの仕方も重要になってくると思った。