【らくだメソッド】スイッチを押すこと(ストップウォッチについて)
【らくだメソッド】スイッチを押すこと(ストップウォッチについて)
*振り返りセッションで出た付箋
2017.4.22 V.O.P予告編⑷ 上映会を終えての感想
⚫︎なんだかいろいろと、とらわれているものから解放されていく感覚。「無駄を愛す」とか言っていた私なのですが、まだまだだなと思う。自分が気づいていくようなこと。ハッとするような体験を繰り返していくこと。そんな85分の時間だったように思えて。
これをどこかに生かすようなことは逆に思わずに、心のまま、優しくなれるように。
⚫︎問題があっても深刻になりすぎずユーモアを持って生活している人々がいました。それはなかなかないことだと思います。今を見直す糸口をもらえました。
⚫︎「安心してサボれる会社づくり」自分に出来ることを無理なくやっていける環境があれば、急がず自分のペーシで身につけていける。そこにコミュニケーションがある。
⚫︎ “場”は問いによってつくられているのかなという感じがすごくしました。自分がどう生きたいのか?どのような問いを深め、探求していきたいのか。ということ、そして、自分の周りにどのような問いを抱いている人がいるのかということが、自分の生き方を決めていくのだと感じました。そして、その問いを深めること、向き合うことは決して一人ではできなくて、人との関わりコミュニケーションがなければできないように思います。
だから、ありのままに生きるとか、降りていく生き方というのも、答えがあって、これだ!というのではなくて、いつも問い続けていく、そして、周りの人とのコミュニケーションがいつもある。だから楽しいし、終わりのないものなのだと思いました。川村先生、向谷地さんやそのスタッフもいつも問いながら、生きているのだと思いました。
⚫︎好きなように生きる!
⚫︎予告編を見終えた時、「遅刻せずに最初から見たかったな」と思うようになっていました。V.O.Pを見ていると毎回気づきや癒しを受け取っている気がしています。それは、普段の自分がどこか無理をしていたり、「それはどうなの?」と思うことに目をつむっていたり、周りからの変な空気に押されていたりするのだろうなと思います。
できることが良いことで、できないことが悪いことだと私自身思っていなかったとしても、周りが思っていない環境だとそれはそれで難しさがあるのではないかなぁと思います。だからべてるの家の「できることが良い、空気をつくらない」というのが、とても気に入りました。今回も、何度も見たいと思う映像でした。
⚫︎面白かった!が一番です。
自由、無駄な時間、誰かに強制されるわけでもなく、自分自身も強制しない。
コントロールしようと思わない考え、心、がどれだけ素晴らしいのか、を感じました。ただ、普通の、私がいる社会、会社は、誰もが誰かに強制させる社会で、自分もずっとそうしてきたので、心でわかったつもりになっても、また元通りの考えになりそうなのが恐いなと思いました。でもそんな時、べてるの家の人のことを思い出したいです。あの人たちは楽しそうだったし、ユーモアに溢れていた。私も恐怖を感じるより、楽しく笑えることを想像したいと思いました。
*振り返りセッションで出た付箋
2017.1.28
V.O.P 予告編その⑵ 上映会を終えての感想
⚫︎べてるの家というものをはじめて知り、精神と向き合うこと、人との関わり方、とても色々と考えるきっかけになりました。できない自分をみとめることを、正直にしている人たち。そんな人たちを理解してあげている人たち。
家族でなくても、血が繋がっていなくても、その一人と本当に向き合うことをしている人達がいることに嬉しい気持ちもありました。
また、普段の自分はどうだろうか?いつも近くにいる人のこと、どのくらい分かろうと知ろうとしているかな…と考えるきっかけにもなりました。
自分以外の誰かのために生きる時間が増えるほど、人は生きている喜びを感じられるのかなとも思いました。
目の前の人に向き合う、今の自分を認める。それからどうするのか。何をする?ということは生きていると、いつもいつもあることだと思いました。
その時を感じながらゆっくり生きる、自分の変化も楽しみにしながら生きる。それで良いのかも。と思っている自分にも気づきました。意見を共有できて楽しかったです。ありがとうございました。
⚫︎振り返りをすることはやっぱり良い。自分が忘れていた感情に気がつく。自分を客観視して、感情移入しすぎないようにしたいと思った。人それぞれみている視点が違って面白いと思った。
出演者の人達がこんなにも自己開示ができるなんて…すごいと思った。本人たちは自分の姿を映像で見て、どう感じたのか気になる。皆で情報・時間を共有することで新たに感じたことがあった。一人の人が出したカードをもっと深く掘り下げたいと感じた。時間が足りない。みんなで感じたことを共有できるのは嬉しい。
⚫︎終わった。2回目のべてるのビデオ。次は3回目だ。大いに楽しみたい。すっきりさせましょうね。
⚫︎べてるワールドに久しぶりにお邪魔しました。今日、電車で向かっている最中に、2016年8月30日の上映会の感想を書いたブログを読みました。そこには温かさや場の雰囲気について書いていました。今回も同じように温かさや場の雰囲気がいいなぁと感じていました。なぜこんなにも温かいのだろうと思った時に、「その人たちの弱さや苦労」があるからなんだろうと思います。発せられる言葉は全てその人たちの人生を表しているから、本当に温かい。向谷地さんや川村先生も医者として、常時関わっているわけではなく、共にいる感じがした。べてる作業所?の社長さんが話されていたが、「弱さ・苦しさは可能性」なんだと気づかされました。
⚫︎上映会で映っているべてるの人たちを見て、「生きている感」の熱量がすごいと感じました。窮屈な社会に過ごしている自分にとって、こんな世界もあるんだなと思いました。普通は症状があると、それを取り除こうと頑張り、逆に症状にとらわれ、かえって悪化することもあります。でも、べてるの家の世界は、症状があってもいい、再発してもいい、とか、世間とは逆の発想で、びっくりします。それが症状にとらわれなくなり、本来の自分に戻れるような気がします。
幻想、妄想をギャグにしているのが、ドキュメンタリーお笑い番組のようでした。その世界を作るには、しっかりとしたルールづくりをしていると感じました。一般社会では受けつけなくても、べてるの家では、どんな人たちでも歓迎してもらえるとても優しい空間だと思いました。上映会を終わった後のみんなの感想もとても学ぶことが多かったです。
⚫︎べてるの家の映画をみるのは2回目ですが、1回目を見た時よりも気づくことが多く、味わい深い映画だなと思いました。今の社会にはない場所ですが、昔はべてるのような場所がたくさんあったんではないかと思います。べてるのような世界観のある場所がこれからも生まれてくることと願っていますし、僕自身もそういった場を作ったり、存在になれたらと思っています。
べてるの場づくりやミーティングには、コミュニケーションの核になる様々な部分があり、それを1つ1つ言語化する事が有益なコミュニケーションツールになるのではないかと思っています。
⚫︎今回べてるの家のビデオを参加者の人たちと観ることで、一人で本を読むことでは気づけないことを感じることができないことに実感を持ち気づくことができたように思います。映像の中に映し出される生きた人々の生きる姿から、生が生きていくこと、変化していくことを学びました。周りの人たちは無理にその人を変えようとしていないし、本人も私はこうなりたい、変えようと生き込んでいないのに、共に働きながら、対話しながら生活レベルの中で結果として変わっている。そんな姿が印象的でした。登場するべてるの人々や向谷地さん、川村医師たちは、自分の目の前で起きていることや、自分の感じていることに目を背けずに、嘘をつかずに、素直に受け止め変化していっていると思いました。こうした生き方は健康な生き方なのかもしれません。そうした日々の中で援助者でも非援助者でもなく、共に生活し、学習者として人々が存在していると思いました。自分も仕事上、精神疾患を持った人々と関わることも日々ですが、そうした人たち、そして自分から常に学び、社会の中で実証していくことが大切であると気づきました。そして、向谷地さんや川村医師の活動する姿を見て、同じように精神疾患や生きづらさを抱える人々の生活や仕事、学習の場をつくることに、奔走する自分の勤務する法人の代表の姿が浮かびました。自分がそうした人と共に働けている幸せに気づくことができてよかったです。
⚫︎まず、この予告編その2をみるのは、4〜5回目でしたが、いつみても、この映画に気づきや学びがある。そして、みんなでみて、シェアするとより深まると思いました。予告編2を何回も上映会するのもいいなと思いました。
べてるの家をみると“場”の豊かさというのは、こういうことなのか、ということが分かる気がして、多種多様な意見があると同時に、多種多様な人が“いる”ことが大切で場の豊かさに貢献しているのだと思います。どうしても皆が同じ方向で、同じ姿勢でいることが大切だと思われがちですか…
また赤尾さんの“チケット販売から人生がみえてきた”というエピソードもとっても心に残りました。日々の中にあらわれてくる自分から、気づき、自分の人生をみつめるプロセスはらくだメソッドとも重なりました。どんなことでも、自分が反映され、そこから自分に気づいていく姿がとても感動しました。次回の上映会もとても楽しみです!!
生きてるってのは やっぱりね
簡単だけどむつかしい
生きてれば
いいことがあるのが本当
一つ一つが 明日生きてると
いいことがある
また 明後日も 生きてると
いいことがある
その次も 生きてると
いいことがある
淋しい時もあるけど そう思う
*振り返りセッションで出た付箋
2016年8月30日に、上映会の第一回目を行いました。
第一回目は、予告編その1を上映したのですが、感想シートを書いてもらうのを忘れてしまいました。
2017年10月7日は、第5回目の上映会は、予告編その⑹を上映したのですが、
予告編その⑹は、上映時間が35分ということもあり、
予告編⑴も合わせての上映会となりました。
以下、
2017.10.7 V.O.P予告編⑴・⑹ 上映会を終えての参加者の感想です。
⚫︎このそのままでいられる空間を、場をいかにして生み出していったのか。“自分たちで決める、関わる”こと。すべてのことに、病気になったこと、何かができないこと、だいたいみんな眠いこと、意味があって。というか、それだからこそ生み出せたものがあるということ。ええかっこしいの滝さんもそのままのええかっこしいを認めること。そんな中だから生きられること。この場が、雰囲気がすごく好きで。
⚫︎べてるが何かもよく知らず、参加しました。
べてるの家、おしゃべり、ごちゃごちゃしているところが自然でした。
映画は観ているようで流れてしまったので、その後のシェア会してもらってよかったです。みなさんの印象に残った言葉、そうそうと記憶に再現しました。
シェア会のべてるは問題だらけ。問題を次につなげていく。というのが私に響いたなぁ。日常、問題あっていいんだ。それがフツーで、ある意味問題があることで現状が停滞することなく進むことができるんだな。
⚫︎今このタイミングでここへ来たのもすべて決まっていたのだと思います。数年前の私なら、「へー、すごい」で終わっていたと思います。
今日観た感想は「うんうん、そうだよな、うんうん、分かる。」そんな感じでした。私が大きく変わったのだと思う。“私はわたしのまま”でいいし、皆がひとりひとりちがって、比べようもない。子供たちが不登校になり、それを実感しています。ごくごく当たり前の生き方、当たり前のことがどれほどムシされ、苦しんでいたのだろう…と。笑うことって最強やと思う。困難さえ、障害さえ味方にして笑う。とにかく誰が誰だろうが「人対人」これに尽きる。
⚫︎「自分で考えて自ら(自分で)行動する」…これは今のわたし自身が直面している課題でもあるなと思っていたので、ここでもいい意味でつきつけられてびっくりしました(笑)。「いろんな人たちがいることで土壌(ここではべてるの家)があたたまり、誰もが善人である必要がない」というお話しをきいて、「みんなちがってみんないい」をうたわれた「私と小鳥と鈴と」という詩を思い出しました。(金子みすゞ氏…)“精神病”であるとか、“障がいを持っている”“持っていない”というわけ隔てなく成り立っているべてるの家。20年以上も前からあるのに、同じような場が増えていっていない?のは何故だろう。他ではマネできないからかな?それとも形を変えて存在している。その精神を受け継がれているのかな?とふと思いました。
・1対1には限界があり、共有できる場所があるから限界が乗り越えられる。
・問題が何もないことはまずない
・(+)も(−)もチャンス
・3度の飯よりミーティング
・集まってくる人がルール
あと一歩が踏み出せない私の背中を押してくれるようなたくさんの言葉に出会いました。場に感謝!出会いに感謝!美味しいコーヒーに感謝!ありがとうございました。
⚫︎下請けはイヤだ。
“自分達でやろう”というのがスゴイ!!
組合と観光協会を相手に選ぶというやり方は、これからのやり方としても面白いよナ〜
⚫︎今回のタイトル“リハビリテーションよりも商売(コミュニケーション)”とあるように、病気や何か問題と直面した時に、その問題をなんとかしようとリハビリしたりするけれど、べてるでは、その問題や病気を、1つの事柄としてとらえずに、その問題の根っことなる部分につながるためのリハビリ=商売をしているように思えた。そのように考えると、働くこと、商売することって、とても有意義なものだと思えるし、その中で味わえる苦労や問題を自分のものとして、実感できる働き方、商売は、生きるためにお金を得るために“働く”を超えた、生き方を問われるものとなるように思いました。
⚫︎私が今回の上映会で最も印象的だったのは、向谷地さんや川村医師がべてるのメンバーの人たちと対話をして生きている姿です。どうしてべてるの家の人たちが安心し、自分の家のようにあの場でだんらんし、くつろぎその人でいられるのか?それは向谷地さんや川村医師はじめ、その人そのものと対話をし、生きてくれる人と出会い、関係し、共に生きているからだと思います。それが山崎さんそのものは、変らなくとも人との関係が変わることで、心の状態は、変容し、笑えるようになるのだと思います。そして、きよしどんや、石井さんが体調を崩したり、工場長とのトラブルを起こしても、それをただの問題に終わらせず、べてるの家が生まれるきっかけとなり、自分達で商売をするというチャンスに変えるのだと思いました。人の存在そのものと、個性や能力と、問題(トラブル)と病と地域とそこに住む人たちと、丁寧に耳を傾け、そこにある価値とは?意味とは?問い続け、聴こえた声をそこにいるみんなで共有し、みんなでひとりひとりの多様性を活かし、行動していくことで“べてるの家”を生み出しているように感じました。今回は寺子屋塾との共通点やファシリテーション講座で学んだことから、ファシリテーションとは対話の核となる黒子役であると見えてきました。
⚫︎「弱いところに、もっと弱いところにあるもの。それは素晴らしいというか…」そんなこと言われたら、泣いてしまうではないですか。そんな風に思いながら、この言葉は、自分のために、いつかの誰かのために、胸の中に大事にとっておこう、と思いました。自分を肯定することがとても難しいと思っていますが、べてるの人達ののびのびさを見た後は、私にもできるんじゃなかろうか?と希望が持てます。
振り返りのセッションで出た付箋
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[不思議の家のべてる]
1995年から、回復した精神障碍者たちの生活拠点である「べてるの家」の日常を撮った『ベリー オーディナリー ピープル』というビデオの連作を作っている。圧倒的に面白いビデオである(と、作った本人が言っているのだから当てにならないが)。少なくとも、毎日を生きている日常が今までとは違った世界として見えてくる。
発端はプロデューサーの清水義晴さんとの出会いだった。早くに父親を亡くした清水さんは、若くして家業の印刷会社を継ぎ、社長として腕を奮ってきた。会社のため、従業員のためと、懸命に仕事をしてきたつもりだったが、ある日、社員たちの造反を受けた。それがショックだった。それから清水さんは、人が人として大切にされる企業のあり方を模索していった。そして、管理職から支援職へ、一人一職、一人一研究、ナンバーワンよりオンリーワンへなどと、様々な企業改革を進めていった。今から二十年以上も前のことである。
その清水さんが、15年ほど前、縁があって「べてるの家」と出会った。そしてそこにある、“弱さ”を大切にした 生き方の斬新さに感動した。清水さんは、そこに、自分が模索してきたものと重なるものを見た気がしたからだ。 そこでべてるに、本を出版しようと呼びかけた。
べてるのメンバーはびっくりした。精神障碍という病気を持った自分たちの存在が、いったい本にする価値があるのかといぶかった。こうして誕生したのが『べてるの家の本』であり、それは口づてに広がって、すでに一万数千冊を超えている。本の出版のために、或は本を出版してからも、清水さんはたびたびべてるを訪ねた。そして、いくつもの感動のシーンに立ち会った。だが、その面白さや素晴らしさは文字では伝え切れなかった。そこで映画を作ろうと思い立ち、私に協力を求められた。
私は「べてるの家」のことは何も知らなかったが、清水さんの話を聞いて一つだけ条件をつけた。感動的なシーンは 撮れませんよと清水さんに言った。清水さんはそれでいいと言う。それで私は引き受けた。その頃すでに私には、 いい映画や素晴らしい映画を作ろうという気が消えていた。対象が面白ければ、或は対象が何かを発信していれば、 それをそのまま撮れば、見る人はそれぞれに何かを感じとることができるだろうという考え方をしていた。
感動的なシーンを撮ろうと狙って待ち構えていると、撮る側の心性に歪みが生じてしまう。するとその歪みが、見る人に歪んだ観念を植えつけてしまうのを恐れたのだ。対象にカメラを向けて、ただだらだらと撮るのが私の手法だった。そしてそうした撮り方に、ビデオはフィルムより向いていた。
「べてるの家」へは、何の準備も何の勉強もしないで出かけていった。たいていの記録映画の監督さんは、しっかりと事前の調査や勉強をして、自分なりの考え方や映画の構想を確立してから撮影の現場に乗り込む。しかし私は、そうしたやり方を好まない。何も知らない方が先入観を持たないですむからだ。何も知らないまま現場を訪れ、そこで自分が見て、知って、感じたことを、そのまま映像としてつないでいく。そのことで観客も多分、私と同じ距離感で現場に触れ、対象に迫り、何かを感じることができるのだと思っている。
それでも正直のところ、最初は、精神障碍者と呼ばれる人たちとどういう顔をして話せばいいのか戸惑いがあった。 差別や偏見を持っていけないと意識すること自体が、すでに差別する心の始まりだという自覚があった。それでいて、 そんな意識は拭いようもなかった。しかし「べてるの家」を訪ねてみると、そんな意識は忽ち払拭されてしまった。
べてるのメンバーたちはカメラを手くすねひいて待ち構えていた。到着するとすでに宴会の準備が整っていた。 どうやら、我々の歓迎の宴らしい。撮影の機材を置いて、ニコニコして席について、ビールを二口も飲まないう ちに、メンバーの自己紹介が始まった。あわてた。どうも私たちに向かって喋っているらしい。私たちは取材に 出かけて行ったのだからお客さんという意識がなかった。しかしその席には、お客さんらしいのは私たちしかい なかった。『べてるの家の本』の出版という体験をしていたべてるのメンバーたちには、語りたいことがたく さん溜まっていたのだ。あわててカメラを構えて、撮りはじめた。
その時の様子を、そのままつないだのが『ベリー オーディナリー ピープル』の予告篇その1である。 二泊三日の第一回ロケからの帰り道、清水さんから予告篇を作ってくださいと頼まれた。清水さんは予告篇を持って全国を行脚し、べてるの“映画”を作るための製作資金を集めよう、という心づもりだった。(清水さんの妄想はふくらんで、カンヌのグランプリを受賞した時に備えて、授賞式に着ていく羽織袴の心配までもしていた。)
私は、名刺代わりの予告篇を作ろうと思った。一つは、カメラに向かって自己紹介をして くれた映像をそのまま活かして、“私たちがべてるですよ”と観客に差し出す名刺である。もう一つは、 私がべてるのメンバーに差し出す名刺である。私がどんな感じ方をして、どんな映画を作ろうとしてい るのかを、まず先に、べてるのメンバーに知ってもらいたいと思ったからだ。それが、これからの映画づくりの、べてるとの長い付き合いには必要だと思ったからだ。
最初の清水さんの注文は十五分から二十分の予告篇だった。しかし、実際に編集をし始めるといっこうに短くならない。それよりも、そもそも短くする気が失せてしまうのだった。精神障碍でも、生活保護でも、それでも子ども生みたい! という山崎薫ちゃんの言葉をそのまま伝えたかった.。今は精神病であることを誇りに思っている! という坂本さんの破天荒な言葉もそのまま伝えたかった。すると、どうがんばったところで短い予告篇などはできっこなかった。長くてもいいですか、と清水さんに尋ねると、それでいいと言う。そこで60分の予告篇その1が誕生した。
初めて訪ねた「べてるの家」は、私が今までに出会ったこともないような異様な世界だった。そこには笑いが 渦巻いていた。自分の幻聴や妄想を、或は病気の発症している時のパフォーマンスを、明るく大きな声で語り 合い、自慢し、からかい、笑いあっていた。みんながいきいきと輝いていた。生きるエネルギーに満ちあふれ ていた。それが不思議でならなかった。
(もちろん、調子の悪い人は沈痛な表情で落ち込み、体調を崩した人は自ら浦河赤十字病院へ再入院していくの だが。しかし、再入院もべてるでは不名誉でも何でもない。ちょっとかかりつけの医師に見てもらい、薬をもら って、からだを休めるために別荘に出かけていくようなものだった。)
一度は絶望を味わった人たちがである。発病した時に、一度は、これで自分の人生は終わったと思った人たちが である。その人たちが、楽しそうに、幸せそうに暮らしている。それが不思議だった。
「べてるの家」は北海道浦河町にある。人口一万六千人の小さな町である。千歳空港から苫小牧を経て、海岸線 をひた走って二時間半。森進一のヒット曲で有名な襟裳岬の少し手前である。一帯は、日高昆布と競走馬サラブ レッドの産地である。新聞やテレビでも紹介されて、病気で苦しんでいる人が全国から集まってくる。
浦河赤十字病院精神科の川村先生の診断を受け、入院し、退院してから「べてる」のメンバーになる。「べてる」には不思議な“場の力”がある。いや別の言い方をすると、べてるのメンバーが作り出す場の力が、べてるの“不思議さ”を演出しているのかもしれない。
六年も七年も被害妄想で苦しみ 、人間不信に陥り、引きこもりをしていた人が、「べてる」に来たとたんに、数か月もしないうちに、人の前に出ることが出来、自分のことや病気のことを語り出す。カメラを向けるとごく自然に語ってくれる。その人は、カメラの前で、今は、人の前で話し、人の話を聞き、人とコミュニケーションが取れる自分をとても幸せに感じている、と語ってくれた。もし病気でなかったら、こんな幸せは味わえなかっただろう、とも言う。かつて、病気と戦い、自分を責め、周りを傷つけていた頃は、こんな自分を想像することもできなかったと言う。
しかしこれは、川村先生が名医であるからでもなんでもないと私は思った。病院での治療や薬が効いたわけでもない。 私は、それが「べてる」の“場の力”だと思っている。メンバーと一緒にずっと「べてるの家」を支えてきた医療 ソーシアルワーカーの向谷地(むかいやち)さんは、予告篇その1で、それを「べてるはホクホクした黒土のよう なところです」と語っている。
べてるには、いい人ばかりがいるわけではなく、怒りっぽい人も、だらしない人も、騒々しい人も、風呂の嫌いな人も、実にいろいろの人がいる。そしてその人たちが、それぞれの味を出し、それぞれの味を活かして「べてる」という場の豊かさを作り出しているように感じられる。大原則は、ありのままの自分をそのままを受け入れようという考え方である。それが、他人を受け入れ、支え合うという次の関係性を生み出していく。
最近、新しく入ってきたメンバーにインタビューすると、誰もが “べてるに来て安心できた”とか、“ここには 自分と同じ匂いや同じ色の人がいるなと感じた”と語る。どうしても自分の病気を認めたくなかった人や、家族が 自分の子どもの病気を世間から隠したくて病気と認めてもらえなかった人や、或は病院の扱いがひどくて転々と 変わったり、入院するのをかたくなに嫌っていた人たちが、べてるに来ると、すっとなじんで、なごんで、居つい てしまう。自分を守っていた固くて厚い殻を自然に脱いでしまうのだった。
病気があっても、あんなに楽しく幸せそうに生きている人たちを見て、ここでなら自分もやっていけそうだと安心するようだ。誰に強制されるのでもなく、またそうしろと薦められるのでもないのに、ここに来るとありのままの自分を愛おしみ、認めてやることができるようになるようだ。
予告篇その1で、日赤病院精神科の川村先生は「治せない医者、治さない医者を目指しています」と語っている。 川村先生も、若い頃は、患者さんの病気を治すことに一所懸命な良い医者を目指していたという。しかし患者さん に治ることを期待させ、治ることを強制する医療に虚しさを感じて、病気を持ったままでも楽しく幸せに生きられる 道はないものかと模索しはじめた。
精神病というのは、医療の世界に収まり切れない部分が途方もなく大きいと川村先生は語る。確かに精神病は、 発病のプロセスからして、その人の暮らしや生き方や人間関係に大きく左右されている。それを、狭い医療と いう世界だけで解決しようとするのには限界があるという気づきである。そこから、例えば、幻聴を消すこと のために一生を費すよりも、たとえ幻聴があっても、その病気を抱えたままで毎日をいきいきと暮らせるよう な幻聴とのつきあい方を身につけようとする。
べてるでは、幻聴は“幻聴さん”と呼ばれている。幻聴を敵にしないためである。生活の中の色どりとまでは言えないにしても、なんとか “幻聴さん”と上手につきあえないものかと工夫していく。他人の前で自分の幻聴や妄想のことをおおっぴらに語ることはまず手始めである。他人の話を聞けば、自分のつきあい方の参考にもなる。べてるでは、毎年の総会の席で「幻聴&妄想大会」があって、ユニークな幻聴や妄想の持ち主には賞が与えられる。幻聴に限らず、川村先生はよくメンバーに向かって、“病気は治ってないけど、ずいぶん良くなったよね”という言い方をしている。
しかし、ありのままの自分を受け入れるということは、安直な現状肯定やプラス志向とは決定的に異なるような気がする。ありのままを認めるのは、今のままでいいということでもない。ありのままの自分を受け入れるには修行が必要なような気がする。多分、その修行が病気の体験だったのだろうと思う。向谷地さんはメンバーによく、“いい苦労をしたね”とか“今、苦労してるのがいいんだよ”という言い方をしている。多分、その苦労が修行なのだろうと思う。
べてるのメンバーの日常を見ていると、彼らは、瞬間瞬間を輝いて生きているんだなあとつくづく感じる。なにかの ためにとか、なにかの目標を目指してせっせと生きているのではなく、ただ輝いて生きているのである。予告篇その2 のべてるの総会の場面で、メンバーの山崎薫ちゃんが「生きてきてよかった」と語る姿がある。私は、なにか憂鬱な ことやつらいことがあるとすぐにその場面を思い出す。
予告篇その1では、働き者の坂本さんが、ゴミ入れのポリバケツに無駄のないビニール袋の取り付け方をカメラに向かってていねいに説明してくれる。ふだんは寡黙な住岡さんが黒い煙を出さないためにいかに気を配ばってゴミを燃しているのかを熱っぽく語ってくれる。そんな姿に、メンバーたちが生きている今という時間の重さを感じた。メンバーたちが瞬間瞬間を実にていねいに生きている、それが私には輝きとして感じられたのだ。
予告篇その1は、余儀なくして長い長い予告篇になった。しかしその2からは、私は意図して長い予告篇を作ろうと考えた。そして予告篇はその8までを数えている。だいたい一時間から一時間半、短くても三十五分、最長で二時間の予告篇である。ギネスブックに載せてほしいくらいである。
本編という一本の作品を作ろうとすると、どうしても完結性が求められてくる。作る側も見る側も完結性を求めてしまう。 感動がほしくなり、結論がほしくなり、意味づけがほしくなり、素晴らしさがほしくなり、立派さがほしくなる。 しかし、毎日毎日をただひたすらに生きていることには限りがない。
生きることは、完結しない。生きることは死ぬまで続く。瞬間瞬間を輝いて生きているメンバーたちの姿を映像として定着していくのには、完結性が邪魔になったのである。生きることは、毎日毎日変わっていく。べてるもどんどん変わっていく。だから“べてるはこうです”とは、いつだって言い切れない。だからいつまでも予告篇なのだった。
べてるは素晴らしいという讃歌ではなく、ただ生きているべてるのメンバーたちの今を描くことで、同じ生きている時間を共有したいと思ったのである。そして今、予告篇その9も計画中である。
引用元:
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