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書くこと:「書き始めの気づき」と「書き終わりの気づき」

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書くこと

 
書くことの不思議さをいつも感じる。
「書き始めの気づき」と、
「書いたあとの気づき」の具合がまったく違ってきます。
 
大体は、書いている途中に気づきがやってくる。
 
書き始めたときは、
自分の中で何か「書きたい」と思えるような気づきがあるのだけれど、
 
でも、その「書き始めの気づき」と、
「書き終わりの気づき」が「同じ段階の気づき」であることは
ほとんどなくて、
 
書いていく中で、その気づきが深まっていきます。
 
** ** **
 
「書くこと」というのは、
完結した気づきや、想いを書くこと、
つまり自分の考えていること、気づいたことを「書き写す」ことだけではなくて、
「書くこと」というのは「深める」ということができるように思います。
 
「書く」という行為の過程が深めることであって、
書いている中で、開けていく、見えてくる世界がある。
 
** ** **
 
自分には「書けない」と思ってしまうときがあるけれど、
それは、自分の考えていること、感じていることを
「書き写す」ということを、
「書くこと」としているのかもしれない。
 
でも、「書くこと」で 考えればいいし、感じればいい。
何も持たずして、書けばいい。
 
書きながら、行ったり来たりする。
そうすると自ずと深まり、開けていくかもしれません。
 
書くことは、自分のコピーを作ることではなくて、
自分をさらに深め、広げていくことなのだと感じています♩
 

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はじめてのプリントと2回目のプリント 自分をすこし楽にさせてあげる

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らくだメソッドのプリントは、

基本的には(目安の時間内にミス3問以内)というめやすに達していたら、

次のプリントに進んでいいということが決まっています。

 

けれど僕の場合は、小学校4年生あたりのプリントから、

毎プリント2回は必ずやることにしています。

なので1回でめやすに達していても、

次の日はまた同じプリントに取り組みます。

 

その同じプリントを2日で2枚という進め方をしていることが、

同じプリントなのに、プリントに向かうまでの状況が、

1日目と2日目は明らかに違うということを感じました。

 

1日目はもちろん「はじめてやるプリント」であるけれど、

2日目は「やったことがあるプリント」になります。

 

なので、2日目はおおよそ問題の難しさや、それにかかる時間の見通しがある程度わかっている。

 

けれど、1日目はどんな問題なのか?どれだけ時間がかかるのか?という状態で、プリントをやることになります。

だから、見通しがかなりもちにくい。それが、どこかしらで自分のやるタイミングにブレーキをかけていることがあるような気がしました。

ただ、前日に記録表にはさむ時(次の日やるプリントは、すぐに取り出せるように、前の日のプリントが終わった後に記録表にはさむようにしている)、5秒でもいいからプリントを意識的にみてみる。

 

めやすの時間や、問題数、問題形式。

それだけ5秒でパッと見れば、どの程度のプリントなのかは

少しはイメージできて、自分の中で1枚のプリントの見通しをたてられる。

 

本当に小さなことだけれど、

まったく知らずして、プリントに取り組むのと、

少しだけでも自分の中でイメージできて、見通しが持てているのは、

まったく違った状態に自分がいるのだと感じました。

 

** ** 

 

もちろん、まったく知らずして「実行」する経験だからこそ

現れてくる自分もあると思います。

 

ただ、毎日1枚のプリントをやるとなると、

「記録表に次の日のプリントをはさむこと」みたいな、

そういうちょっとした工夫をして、

自分を楽にさせてあげることが大事なんじゃないかなと思います。

 

** **

 

らくだメソッドの学習を始める前は、

毎日何かを継続するってすごいことだと思っていました。

 

それは継続力というような、継続できる「力」みたいなように思っていたのだけれど、

こういう体験から感じることは、

 

それは、「継続する力」という表現よりも、

 

どれだけ自分を知るというか、気づけるか。

そして、その自分を受け入れて、どうやって自分自身をサポートしていくのか。というようなことなのだと思います。

 

自分自身をサポートしながら「継続」できていることは、

なにも力も強さもいらないし、

頑張らなくてもいい。

むしろ、頑張らずに継続できる。

 

そういった自分自身をサポートできるようになることが、

継続力なのだと今は感じています。

「できる」ようになっているのに「できない」実感が強まること。

「できる」ようになっているのに「できない」実感が強まること。

 
小4-41 (全99問 めやす時間:10分)
 
小4-41のプリントは、小学校4年生の最後のプリントで
内容は、分数の約分のプリントになっている。
 
初めてやった時、なかなか最小公倍数が浮かんでこなくて、
地道に2で約分を繰り返して繰り返して‥
という感じで問題を解いていたのだけれど、
だんだんと、ぱっと最小公倍数が浮かんでぱっと問題が解ける時も
多くなってきた。
 
今日は、久しぶりにこの小4-41のプリントをやったのだけれど、
全然スムーズに解くことができず(最小公倍数がぱっとでてこない)、終わった後に今日はいつもよりも遅かったな…という気持ちになった。のだけれど、
 
時間があったので、過去の小4-41の記録を振り返ってみたら、なんと今日の記録が一番今まででタイムがよかった。
 
【これまでの小4-41の記録】
 
4/9 12:28 ミス3
4/16 9:57 ミス0
4/26 9:01 ミス1
4/27 9:10 ミス3
5/1 8:26 ミス1
5/29 7:15 ミス1
 
初めてやった時に比べる5分以上も解くスピードが速くなっているのがわかる。
 
でも、今の僕にとってはまだまだ「できない」という実感がこのプリントに対してあるわけで、このプリントの中でもっと自分の能力を発揮できるし磨けると思っている。
 
初めてやった時は、10:00以内にできれば、
かなりスムーズに気持ち良く解けるんだろうな。とか、
10:00以内に解けることができれば、満足できるだろう。なんて思っていたのだけれど、
全然そんな気持ちにはなれていない今があって、
むしろ、初めてやった時よりも「できない」という自覚が強くなっているように思う。
 
自分はいつも変化しているからこそ、できるとか、できないとかいう実感もいつも変わってくるんだ。
 
今の自分で、「あそこ」までいくことなんてできず、「あそこ」までいく過程の中で自分自身が変化しているし、変化してしまう。
 
***
 
なぜ結果的には「できる」ようになっているのにもかかわらず、「できない」実感が強まっているのか?
きっと、僕をプリントに向き合わせている原動力は、
「学びたい」「向上したい」という気持ちなのだと思う。
 
だから、いくら早くできても自分の中で「満足感」や「完璧感」はいつまでもこないのかもしれない。
その時は、この1枚のプリントから「学ぶ」「気づく」ことをやめた時だと言えるのかもしれない。
 
自分の「学びたい」という気持ちは、
1枚のプリントを完結させることは決してなくて、
いつもいつも「先」を用意してくれている。
 
だから、「できる」ようになっていながらも、
「できない」実感が強まっているのだと思う。
 
** ** **
 
何かを学び続けるというのは、
いつも「過程」で「途中」な状態なのかもしれない。
 
現実に現れる「事実」は「できる」ことが多くなるのかもしれないけれど、もしそこから「学び」「気づき」たいと思っているのなら、
自分には「できた」という実感よりも、
「できない」という実感の方が強くなっていく。
 
そう思うと、学び続けるということは、
いつも「できない」自分を認識できている状態だとおもうし、
その自分を受け入れて、見つめていくことだと言える。
 
その時に、「できない」実感はあるけど「できるようになっている」事実を、
いつも記録して、自分の変化をたどれる環境づくりは、
「できない実感」を受け入れながら学び続けるために、
とっても大事なことなのだとおもう。
 
そういう意味で、今回のこの気づきも
らくだの事実を記録するツールである記録表は、
とってもいいサポートをしてくれていると感じた。
 

溢れる想いを少ない言葉に無言に込める

溢れる想いを少ない言葉に無言に込める

 

発達障害の子どもをもち、試行錯誤しながらも

子どもとうまく関われるようになったという事例を持つ

お母さんのメッセージがとても心に残った。

 

 

「溢れる想いを少ない言葉に、あるいは無言に込める」

 

できるだけ、言葉を減らして、相手が僕の心をイメージできて、

入り込める余白を作ってあげることだ。

 

 

 

言葉で全て伝えなくたって、

自分の気持ちを最小限の言葉に込めて伝えることができれば、

相手はそこから自分自身の心で、

メッセージを受け取ろうとする。

 

本当に想いを伝えたかったら、

相手の心を信じて、相手の心から自分の気持ちや想いを想像させて、

想いを相手から受け取ってもらったほうがいい。

 

3日間プリントをやらなかったことについて

3日間プリントをやらなかったことについて
 
イベント2日間と、その次の日にやらなかった。
やらなかったことに関して、
ただ流しておくことはなんだかとってももったいない
気持ちになったので、すこし振り返ってみようと思う。
 
◯精神的
イベントの2日間はとってもハードかつ、
いろんな面で感謝されたり喜ばれたりして、
とっても充実感に満ちていた。
疲れを忘れて、そっちの気持ちの方が多かったように思う。
 
終わった次の日は、終わった充実感と安堵感があったこと。
 
◯身体面
その週の1週間は睡眠時間はしっかり確保できていたものの、
一日中、to doをこなす1週間の中で、
準備が着実に進めることはできたものの、かなり体は疲れていたのかもしれない。
(らくだのプリントもできていたし、いい感じだと思ってはいたが。)
 
イベント終了の翌日はかなりの疲労感で、
すぐに眠ってしまい、かなりの時間眠った。
 
◯いつもと違うこと
・まずは長距離の移動があったこと。
新幹線の移動、長距離の電車などかなり体に負担がかかっているように思う。
 
・睡眠時間
睡眠時間が合宿の2日間はかなり短かった。
いつもと違う環境で寝ることもなんだか落ち着かない。
 
・1日の流れ
合宿イベントの主催ということもあり、かなり気を働かせていたこと。
 
・まとまった自分の時間がなかった
いつもはまとまった自分の時間がある。(家に帰ったら、1時間くらいは自由にパソコンをいじったり、
読書をする時間がある)
イベントの二日間はまとまった自分の時間があまりなかった。
 
・一緒にいるひと
ほとんどの人が久しぶりの再会or初対面
 
・自分の立場=主催者
 
 
振り返っただけでも、この3日間の変化はこれだけある。
同じ1日はないように、毎日毎日さまざまな変化に対応しているのだと思う。
そこに意識はあまりないのだけれど、
意識がない分理由もわからず体や心に影響が出てきているのだと思う。
 
らくだのプリントができている時は、
なんとかその変化に対応できている範囲なのかもしれないし、
できなかった時は、
その変化への対応が自分の範囲を超えて行ってしまっているのかもしれない。
 
その変化に対応できないのは、自分の見通し(時間・空間)の甘さなのだと思うし、
その見通しができていても、自分の能力がまだまだ足りていないところだってあるのだと思う。
 
そう思うと、この3日間はいつもより非日常で、
自分の見通しの力と、その見通しに対する行動のレベルが
どのくらいなのか?ということを見つめることができたように思う。
 
今後も同じような仕事があると思う。
それは、自分の見通しと、それに対する実行力が試せる機会だと思う。
 
たまにはそうやって、
大胆に違った1日があると、わかりやすく今の自分の現状が現れてくるのかもしれない。

まなゆい 5周年記念合宿終わりました!

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まなゆい5周年記念合宿@伊豆高

無事開催することができました(^ ^)

 

現在は、インストラクターとしてまなゆいに関わるだけでなく、

事務局の仕事もさせていただいています。

 

ですので今回は、事務局としてイベントに関わらせていただく面もあり、

イベントに向けて様々な準備を進めてきました。

 

その過程の中で、「まなゆい」で出会った人と、

その深いつながりの中で働けることの心地よさを感じながら

この合宿の終わりを迎えることができました。

 

インストラクターのみんなと比べて、

特に僕は年齢的にも若く、

さまざまな面で経験的に浅いと思うけれど、

かなり「自分のまま」(特に小さくなったり、遠慮したりすることなく)働けていると思います。

 

これは、僕が元々自分に自信がある人間だからとかではなく、

まわりにいるインストラクターの仲間のみんなとの

関係性がそうしてくれているのだと思います。

 

まわりのみんなが「受け入れ、認め、ゆるし、愛している」というあり方でいてくれていること、

 

そして、お互いがそのあり方をいつも分かち合えているからだと思います。

 

そして、そんな関係性の中にいると

新しい自分に出会うことが多いように思います。

 

1つのチームの中で働いてみると、

頼まれることや、役割を分担することなど、

誰かから何かをお願いされたり、

誰かとの関係性の中で、自分の仕事が生まれてくるときがあります。

 

そうすると、必ず他者から見た自分に対しての「仕事」が生まれます。

これは、きっと自分の見えていない「自分」の姿だと思うし、

それを実際にやってみると意外にも人に喜ばれたり、

自分でもやっていて得意だなと思えることが生まれてきたりします。

 

そう思うと、集団の中に身を置くこと、

さまざまな人とのつながりの中で何かをしていくことって、

自分を広げていく上でとっても大切なことだと思いました。

 

今後も、たくさんのつながりが増えていくと思います。

そして、みんなで進めていくことがたくさんあります。

 

その進めていく「何か」ももちろん大事だと思うけれど、

その「何か」ができるまでの「過程」の中で出会える自分、

そして、出会える相手の魅力や優しさに触れることを

味わいながら、感じながらこの先も仕事をしていきたいと思っています。

「受け入れ認めゆるし愛しています」で生まれる関係性は、

きっとみんなにとって、新しい自分・相手に出会える素晴らしい言葉だと思います。

 

そんな言葉で繋がれている関係性をいつまでも大切にしたいと思っています。

 

イベントに参加された皆様、

インストラクターの皆様、お疲れ様でした!

量の中に質が現れてくる。

量の中に質が現れてくる。
 
小5-5(問題数:90問)
 
昨日同じプリントをやって、
10:04かかったプリントが、
今日は8:30でできた。
 
1日にして約1:30も解くスピードがはやくなった。
(ミスの数も昨日と同じ2問だった。)
 
***
 
この体験から、「質より量」とか「量より質」という言葉を思い出した。
 
 
この言葉にあるように、
 「量」と「質」というものが
相対するような認識を持っていたのだけれど、
量と質というのは、相対するものではなく、
 
「質」というものは
「量」の中に見えてくるもののように感じた。
 
この計算プリントの中で言える「質」というのは、
「1問1問の問題をミスがなく、はやく解くこと」と言えるとおもう。
 
その質をはかるためにはどうすればいいのか?と考えた時に、
「量」をこなすしかない。
 
1問の質を、1問ではかることはできなくて、
この計算プリントも、
1門の質が、90問という「量」が積み重なって、
浮き彫りになってくる。
 
だから、「質」の前に、「量」が先にある。
「量」をこなす中で、
自分の「質」が見えてくるのだとおもう。
 
***
 
どんなことでも一緒で、
「量」をこなさなければ
「質」を上げることはできないのかもしれない。
 
「量」をこなさなければ、
「質」を上げるための
ヒントも得ることができない。
 
だから何事もとにかくやってみること、
反復して続けてみることが大切なのかもしれない。
 
そうすると、自分の質が積み重なって、
わかりやすい形として現れてくる。
 
そうして、「量」から見えてきた現実を
試行錯誤していくことで、「質」は磨かれていくように思いました。