そのまんまたろうのブログ

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Sonomamma Taro no Blog

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「問題をすぐに解決しないこと」

僕の目の前に起こる問題に対して、

「問題だ。解決しなければ。」と焦らないこと。

 

それを「問題」としているのは自分自身であって、

なにを根拠に「問題だ」と思っているのか、よく自分を見つめてみることだ。

 

そして一つずつ、一つずつ、自分に質問してあげる。

 

そうすると、自身の囚われとか、

自分の固定観念みたいなものが絶対あるのだ。

 

問題を解決することを焦らずに、

今、目の前に起こっている物事を冷静に受け入れて、見つめてみることだ。

 

それが本当は問題でないことだってたくさんある。

 

自分にとって大切な人や、身近な人との関係の中で起きる問題こそ、

どうしても冷静になって見つめることは難しいけど、

「問題をすぐに解決しないこと」という言葉を大事にしたいと思った。

 

 

 

 

自分をデザインする。

アートディレクター佐藤可士和さんの

「課外授業 ようこそ先輩」と「プロフェッショナル 仕事の流儀」をみました。
 
「デザインする」ということは、一体どういうことなのか?ということを考えるきっかけになりました。
 
自分らしく生きること、
 
ありのままで生きることは、
 
自分で自分の人生を作っていくこと、
 
それらの言葉は「自分をデザインする」と言い換えることができるように思います。
 
「デザインする」とはどういうことなのか?
 
この問いを深めていくことは、
 
「自分らしく生きるとは?」
「自分らしい人生とは?」
「自分で自分の人生を作っていくとはどういうことなのか?」という問いにもつながっていくように思います。
 
ですので、「デザイン」のプロフェッショナル、
佐藤可士和さんの「デザイン」に対する考え方は、
そんな問いに対してかなり参考になるお話だったように思います。

 

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目に見えないコンセプトを形にするのはとっても難しいと思うんですが、何か秘密はあるんですか?

 

こんな問いに関して、こんな風に答えていました。

何かいいアイディアがぱっと浮かぶことなんて全然ないんです。
 
「対象物の中に答えがある」
 
それがわかってから、アイディアが出なくなる恐怖感がなくなりました。
必ずアイディアはでる。
 
 
佐藤可士和さんの師匠、コピーライター鈴木聡さんの言葉
広告は演出するこではなく、むしろ本質に向いていくこと。
 
洋服を着せることではなくて、裸にしていく。
その時にたったひとつ残ったことが、そのコンセプト。

 

デザインというのは、対象に対して肉付けするものではなくて、
 むしろそぎ落としていくことなのだということです。
 
カッコ良くしたり、オシャレにしたり、華やかにみせたり、可愛くしたり、
そのように、対象を大きく見せるものではなくて、
 
その対象の中にある、
本質的なものを見つけていく作業なのだと思います。
 
 
佐藤可士和さんの人生のターニングポイントとなったステップワゴンCM
 
そのCM製作の過程では、
 
商品とそれを取り巻く時代について、
なぜRVがうけるのか?
家族の車ってなんなのか?
今家族はどうなっているのか?
 
そんなことを永遠と語り合ったそうです。
 
この「ステップワゴンをデザインすること」と、
「自分をデザインすること」は、ほぼ同じことのように感じます 。
 
「デザインする」ためには、
「問い」と「他者(いろんな視点)」が必要なのだと思います。
 
 
「他者」との関わりのなかで、
いろいろな角度から自分が問われていくことによって、
自分にとってより大切な何かが見えてくるのだと思います。
その過程こそが、「自分をデザインしていく」
 「自分がデザインされていく」と言えるのかもしれません。
 
あらゆる他者との関わりの中に身を置き、
自分から、そして他者から「問い」をぶつけられるほど、
「自分をデザイン」できるのだと思います。
 
そう考えると、
「 自分らしく生きていくこと」を仮に、
「自分の人生を自分でデザインしていくということ」とするのなら、
それは、 いつも問いの中に生きている状態と言えるのかもしれません。
 
完成された「自分」に自分をはめ込むわけでもなく、
自分を大きくみせたりするわけでもなく、
 
いつも模索し、自分という存在が問われていること、
それが「自分をデザインする」ことであり、
「自分らしく生きること」なのだと思いました。
 
「対話すること」や「問い」が、
自分らしく生きていくこと、
自分の人生をデザインしていく上で大切である理由が、
すこし深まったように思いました。
 
 
プロフェッショナル 仕事の流儀 「アートディレクター 佐藤可士和の仕事」

【らくだメソッド】「問い」と「答え」の息が合ったとき

小学4年生-28 分数(7)の問題をやっています。

全部で45問、めやすの時間は10分という内容でした。

 

このプリントの凄いところの1つは、

足し算も、掛け算も、割り算も、分数も、

全てプリントを通して、

そのやり方や、考え方に自分で気づける。という点だと思います。

 

このプリントを作られた平井雷太さんが、

子供がどんなところに疑問を感じ、

どんなところでつまづくのか?

どこがわからないのか?

 

そして、どんな順序でわからない体験をし、

どんなヒントがあれば、自分で気づけるのか?

そして、どんな「できた」を積み重ねていけばいいのか?

 

そんなことを1つ1つ丁寧に考え抜いて、

作られたプリントなんだと思います。

 

このプリントの誕生は、

平井さんがご自身の息子さんのために作った教材だとお聞きしましたが、

やはり、平井さんのお子さんへの愛情がずっしりと詰まっているプリントだな。といつも感じさせられるのです。

 

「家族」という関係でなければ、

ここまでのプリントなかなか作れないんじゃないかな。とも思ったりします。

それだけ、お子さんへの愛が感じられます。。。

 

そんなプリントをやっていて、

今日は分数のプリントでしたが、

この1枚のプリントの45問の中でも、問題を作った方(平井さん)のメッセージがあるわけです。

 

たとえば、分数のやり方を「理解」する問い。

理解した上で、ヒントなしに「自分で考えてできる」ようになる問い。

そして、「考えずにできる」ようになる問い。

 

1枚のプリントの中に45問の問いがあるのだけれど、

その問いにある込められているものは、

全て同じではない。ということです。

 

そして、「理解」する問いに対して、

考えずに急いでやってしまうと、後になって分数の概念がわからず混乱したり、

 

「考えずにできる」ようになる問いに対して、

考えて考えて解いていたら、めやすの時間内にはできません。

 

「問い」と「答え」の息が合っていること、

問いを作った人の想いと、答える側の受け取りが一致したとき、

1枚のプリントをスムーズにできるようになり、

計算する力も自然と身についていくのだと思いました。

 

計算プリントに限らず、

「問い」を出してくれている相手と、自分の息があったとき、

コミュニケーションもスムーズに、

心地よく進んでいくのだと思いました。

 

 

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【自然農】自分の問い方に気づく

その野菜の状況や、畑の状況、気候、

周りにある草や、虫との相性など、

いろいろなことが関係しあって、

「野菜」が育つわけです。

 

でも、どうしても「〜をしたら」野菜が育つという思考回路が僕の中にはあるんです。

 

「〜をあげたら」

「〜をしたら」

「〜の方法でやったら」

 

そんなことをいつも優先させてしまって、

自分が「何をするか」をすぐに考えてしまう。

 

でも、その前に、やることは「野菜」の状況や、

畑、その周りの状況を観察することであって、

その上で自分が何ができるか?

どういう関わりをすればいいのか?を考える必要があるのです。

 

これは、野菜に限ったことではなくて、

人と関わるときも同じなように感じます。

自分自身も、目の前の相手も、いつも同じ状況があり、

同じ行いをすれば、同じ結果になるなんてことはなくて、

いつも状況が違って、

いつもその時々に応じた「行い」があるのだと思います。

 

だから、いつも今を観察して、今を捉えて、

その上で今必要な「行い」を考えて、実行するしかないのだと思います。

 

 

僕の質問の仕方は、

「これをやった方がいいんですか?」

「これのやり方って、どうやるんですか?」というような問い方になる。

 

いつも、答えを知ろうという問い方になってしまうのだけれど、

「自然農」に限っては、

明確な答えは、問われる側も返せない。

だから、いつもおばちゃんは、

「とりあえずやってみて教えてちょうだい♩」とか、

「こういう場合もあるよ♩」という答えを返してくれる。

 

自然農をやる中で、

自然と関わり、自然の恵みをいただける喜びはもちろんあるけれど、

こういった、農を超えた気づきがあることもまた、

自然農をやる喜びなのだと思っています(^ ^)

 

 

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 そろそろ苗床作りの準備です。

いよいよ田んぼの季節がやってきます♩

 

 

【自然農】籾殻燻炭をつくる

今日は、朝から畑にて「籾殻燻炭」を作りました。

 

昨年、収穫したお米を籾摺りをしたときに

できた籾殻を「籾殻燻炭」にすることで、

田畑に返すことができます。

 

籾殻燻炭は、アルカリが強いようで、

酸性の土壌を中和させてくれるようです。

 

稲作でいただける自然の恵は「お米」だけだと思っていたけれど、

藁や、籾殻といい、すべてのものが無駄ではなくて、

意味があって、活きるのだな〜ということを今日も実感しました。

 

燻炭の中に昨年採れた安納芋を入れておけば、焼き芋の完成!

畑は、籾殻が焼ける香ばしい香りでとってもいい時間でした。

 

この籾殻燻炭は、ほうれん草を育てる畑へとりあえず撒いてみます。

 

今年は、少しだけ畑も広くなり、

田んぼも畑もある程度見通しをもって進められるような予感もあるので、

こちらのブログにも自然農の記事をまとめることができたらいいなと思っています♩

 

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小さな煙突から出る煙をたよりに、火加減の調整!

 

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かなりの量の籾殻!

 

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安納芋の焼き芋

 

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籾殻燻炭の完成(焼きむらがありますが。。。)

コーヒーの焙煎のような感覚でした♩

自分をいつも疑うこと

正しさとか、本当のことを誰だって求めたい。

何かを突き詰めて、

正しさを、本当のことを求めて、

誰かの役に立ちたい。

 

そんな気持ちはきっと誰にだってある。

 

だけど、その正しさを正しさとして、

その本当のことを本当のこととして、

決め付けてしまわないことだ。

 

いつも自分のやっていることを疑いながらも、

自分のなかでの正しさや、本当のことを求めて進んでいけばいいのかな。

 

疑うというのは、少し離れて、

違ったところからみるからこそ生まれるものであるし、

別に悪いものでもなんでもない。

 

自分がやっていることに疑いがあったって、

それは、自分のやっていることをより深めていくことに

必要な見方なのだから。

 

逆に、なんの疑いもなく、

正しさを決め付けてしまうことの方が

危ういことなのかもしれない。

相手に問いを投げかける

問いってのは、

ぶつけるもんじゃない。

 

問いをぶつけたら、

相手はへこたれる。

それか反撃してくるぞ。

 

相手にすっと入るような、

ふわっと相手の中に入り込むような、

そんな問いができたらいい。

 

問われた人が、自分でも出会ったことのない自分に出会える、

そんな問いができたらいい。