そのまんまたろうのブログ

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【らくだメソッド】「問い」と「答え」の息が合ったとき

小学4年生-28 分数(7)の問題をやっています。

全部で45問、めやすの時間は10分という内容でした。

 

このプリントの凄いところの1つは、

足し算も、掛け算も、割り算も、分数も、

全てプリントを通して、

そのやり方や、考え方に自分で気づける。という点だと思います。

 

このプリントを作られた平井雷太さんが、

子供がどんなところに疑問を感じ、

どんなところでつまづくのか?

どこがわからないのか?

 

そして、どんな順序でわからない体験をし、

どんなヒントがあれば、自分で気づけるのか?

そして、どんな「できた」を積み重ねていけばいいのか?

 

そんなことを1つ1つ丁寧に考え抜いて、

作られたプリントなんだと思います。

 

このプリントの誕生は、

平井さんがご自身の息子さんのために作った教材だとお聞きしましたが、

やはり、平井さんのお子さんへの愛情がずっしりと詰まっているプリントだな。といつも感じさせられるのです。

 

「家族」という関係でなければ、

ここまでのプリントなかなか作れないんじゃないかな。とも思ったりします。

それだけ、お子さんへの愛が感じられます。。。

 

そんなプリントをやっていて、

今日は分数のプリントでしたが、

この1枚のプリントの45問の中でも、問題を作った方(平井さん)のメッセージがあるわけです。

 

たとえば、分数のやり方を「理解」する問い。

理解した上で、ヒントなしに「自分で考えてできる」ようになる問い。

そして、「考えずにできる」ようになる問い。

 

1枚のプリントの中に45問の問いがあるのだけれど、

その問いにある込められているものは、

全て同じではない。ということです。

 

そして、「理解」する問いに対して、

考えずに急いでやってしまうと、後になって分数の概念がわからず混乱したり、

 

「考えずにできる」ようになる問いに対して、

考えて考えて解いていたら、めやすの時間内にはできません。

 

「問い」と「答え」の息が合っていること、

問いを作った人の想いと、答える側の受け取りが一致したとき、

1枚のプリントをスムーズにできるようになり、

計算する力も自然と身についていくのだと思いました。

 

計算プリントに限らず、

「問い」を出してくれている相手と、自分の息があったとき、

コミュニケーションもスムーズに、

心地よく進んでいくのだと思いました。

 

 

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【自然農】自分の問い方に気づく

その野菜の状況や、畑の状況、気候、

周りにある草や、虫との相性など、

いろいろなことが関係しあって、

「野菜」が育つわけです。

 

でも、どうしても「〜をしたら」野菜が育つという思考回路が僕の中にはあるんです。

 

「〜をあげたら」

「〜をしたら」

「〜の方法でやったら」

 

そんなことをいつも優先させてしまって、

自分が「何をするか」をすぐに考えてしまう。

 

でも、その前に、やることは「野菜」の状況や、

畑、その周りの状況を観察することであって、

その上で自分が何ができるか?

どういう関わりをすればいいのか?を考える必要があるのです。

 

これは、野菜に限ったことではなくて、

人と関わるときも同じなように感じます。

自分自身も、目の前の相手も、いつも同じ状況があり、

同じ行いをすれば、同じ結果になるなんてことはなくて、

いつも状況が違って、

いつもその時々に応じた「行い」があるのだと思います。

 

だから、いつも今を観察して、今を捉えて、

その上で今必要な「行い」を考えて、実行するしかないのだと思います。

 

 

僕の質問の仕方は、

「これをやった方がいいんですか?」

「これのやり方って、どうやるんですか?」というような問い方になる。

 

いつも、答えを知ろうという問い方になってしまうのだけれど、

「自然農」に限っては、

明確な答えは、問われる側も返せない。

だから、いつもおばちゃんは、

「とりあえずやってみて教えてちょうだい♩」とか、

「こういう場合もあるよ♩」という答えを返してくれる。

 

自然農をやる中で、

自然と関わり、自然の恵みをいただける喜びはもちろんあるけれど、

こういった、農を超えた気づきがあることもまた、

自然農をやる喜びなのだと思っています(^ ^)

 

 

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 そろそろ苗床作りの準備です。

いよいよ田んぼの季節がやってきます♩

 

 

【自然農】籾殻燻炭をつくる

今日は、朝から畑にて「籾殻燻炭」を作りました。

 

昨年、収穫したお米を籾摺りをしたときに

できた籾殻を「籾殻燻炭」にすることで、

田畑に返すことができます。

 

籾殻燻炭は、アルカリが強いようで、

酸性の土壌を中和させてくれるようです。

 

稲作でいただける自然の恵は「お米」だけだと思っていたけれど、

藁や、籾殻といい、すべてのものが無駄ではなくて、

意味があって、活きるのだな〜ということを今日も実感しました。

 

燻炭の中に昨年採れた安納芋を入れておけば、焼き芋の完成!

畑は、籾殻が焼ける香ばしい香りでとってもいい時間でした。

 

この籾殻燻炭は、ほうれん草を育てる畑へとりあえず撒いてみます。

 

今年は、少しだけ畑も広くなり、

田んぼも畑もある程度見通しをもって進められるような予感もあるので、

こちらのブログにも自然農の記事をまとめることができたらいいなと思っています♩

 

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小さな煙突から出る煙をたよりに、火加減の調整!

 

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かなりの量の籾殻!

 

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安納芋の焼き芋

 

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籾殻燻炭の完成(焼きむらがありますが。。。)

コーヒーの焙煎のような感覚でした♩

自分をいつも疑うこと

正しさとか、本当のことを誰だって求めたい。

何かを突き詰めて、

正しさを、本当のことを求めて、

誰かの役に立ちたい。

 

そんな気持ちはきっと誰にだってある。

 

だけど、その正しさを正しさとして、

その本当のことを本当のこととして、

決め付けてしまわないことだ。

 

いつも自分のやっていることを疑いながらも、

自分のなかでの正しさや、本当のことを求めて進んでいけばいいのかな。

 

疑うというのは、少し離れて、

違ったところからみるからこそ生まれるものであるし、

別に悪いものでもなんでもない。

 

自分がやっていることに疑いがあったって、

それは、自分のやっていることをより深めていくことに

必要な見方なのだから。

 

逆に、なんの疑いもなく、

正しさを決め付けてしまうことの方が

危ういことなのかもしれない。

相手に問いを投げかける

問いってのは、

ぶつけるもんじゃない。

 

問いをぶつけたら、

相手はへこたれる。

それか反撃してくるぞ。

 

相手にすっと入るような、

ふわっと相手の中に入り込むような、

そんな問いができたらいい。

 

問われた人が、自分でも出会ったことのない自分に出会える、

そんな問いができたらいい。

 

 

自分への対策

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自分への対策

 

自分以外の何かに「対策」をすることはたくさんしてきました。

あらゆることを予測して、

対策することをしてきたけれど、

「自分」に対しての対策をしてきませんでした。

 

それは、「自分」という存在がいつも固定化されたものだと

思っていたからなのかもと思います。

 

らくだの計算プリントを1日1枚やると、

スムーズに取りかかれるとき、

とりかかれないとき、

 

計算ミスがないとき、

たくさんミスするとき、

 

目安の時間を気にならないとき、

時間が気になって焦るとき、

 

毎日毎日プリントを通して現れてくる自分は違って、

「自分」がどれだけ毎日変化して、

生きているのかということが感じられます。

 

プリントが終わったら、

その日の記録を記録表に記入して、

ちょっとした気づきや気分のメモを残す。

 

1日1日の「自分」のデータをためていくと、

なんかここ最近調子が上がってきたぞ、とか

なんかここ最近調子がすぐれない、とか

うまく生きそうにないな〜なんて予測と、

こういうパターンのときは自分調子悪いなとか、

そういう予測がだんだんと生まれてきます。

 

そしてうまくいかなそうなときは、

何かしら自分に対する「対策」が生まれます。

(うまく行っているときは、うまくいかないことの始まりなんだけど、うまく行っているときほど対策できない気がします。。)

 

僕にとっては、

例えば意識して家事の時間を積極的にとったり、

家の掃除をあえて入れることだったり、

とっても小さな小さなことなんだけど、

そういうちょっとした「自分」への対策が、

毎日を過ごしやすくしてくれるように思います。

 

「自分」をどう捉えて、どう予測して、

どのように自分への「対策」をしていくか?

 

何か自分の外のものに対して、

「対策」を考え実行する前に、

まず「自分」を知ることから始めることも大切だなと思います。

 

 

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知のとびら 「女子学生、渡辺京二に会いに行く」

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この本、とってもよかったです。

何箇所もチェックしてしましましたが、

 

最後の最後の「無名に埋没せよ」という章内の

「知のとびら」の一節です。

 

女子大生へ「しかし、最後に申し上げたいのは…」という渡辺さんの言葉から始まる一節なのですが、とっても心に残りました。

 

吉本さんの「ひとり」は、中学生との対話形式であり、

本書は女子学生(大学院生もいました)との対話形式ということで、

ひとつひとつのメッセージがとっても心にしみました。

 

一生学問をやっていかれるとは限らないと思う。でもここでの知の世界、思想の世界、人類全体の問題というふうなことに出会われたのです。専門的にそういう学問をやっていかないとしても、仮に平凡な妻、母親になるとしても、一生本を読んでいきなさい。本を読むということは持続です。書くこともそうですが、持続です。

 私はさっき言ったように、10歳くらいのみぎりからずっと絶え間なく書いてきたように思うんですが、これも持続です。学問も持続です。だからずうっと本を読んでいきなさい。

 私は平凡な社会人になったらもう学問とは縁がない、とは思わないことです。普通の平凡な社会人でもちゃんとした読書人にはなれます。一生本を読み続けることが大事です。そして何かこういうことがやりたいな、研究したいなってことがあったら一冊の本を書きなさい。書いてもいいんです。そのためにはあるテーマに関する文献、研究書を読み上げなきゃいけないでしょう。自分自身の見方というのが必要でしょう。でも私のような大学の教員になったことが一度もないような人間、民間でずうっとあくせくして、綱渡りのようにして飯食った人間にもできることです、やる気さえあれば。

 学者や研究者になるとか、あるいは変な意味での自己実現をするということじゃなしに、一生何かを模索していく。人間とはなんなのか、どうあればいいのか、社会というのはどうあればいいのか、一生模索していって、本を読んでいってテーマをつかんだら本を書くといい。

論語」に出てくる話だけど、孔子のかつてのお弟子が孔子に言いました。私なりに脚色していうと、

「私は先生のことはずっと尊敬しております。先生に習って、また若い頃考えたこと、習ったことは心の中で大事なこととして思っております」と。

 こう言われたら、ほう、感心じゃ、と言うのが普通でしょう。でも孔子は、「汝中道にして廃せり」と言ったんですよ。おまえは道を求めることを途中でやめたと、突っ放したんです。実に厳しいですが、孔子というのは正しいと思います。孔子さんは偉大なる教育者だね。

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く (知のとびら)

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く (文春文庫) | 渡辺 京二, 津田塾大学三砂ちづるゼミ |本 | 通販 | Amazon